バクマン。 #119-1 「過信と宣伝」 革新的と言いなり

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『バクマン。』 119 ページ 「過信と宣伝」 (週刊少年ジャンプ 2011 年 10 号)

おいなりさん
(まぁ──言いたいことは分かるよね?)

今回の話は、すべてのマンガ家に読んで欲しいと強く思いました。たとえ、「こんなにトントン拍子では成功しないよ」という(たいして面白くもない)印象を持った上でも良いから、次の問いについて自分の意見を持って欲しい。

  • マンガ家の才能とは何だろう?
  • マンガは 1 人で作り上げるべきか?

上の問いかけは、ハッキリと本編で描かれているわけではありません。でも、自分には、作者である大場つぐみさんからの問いかけが、コマとコマとの間に書かれている──と感じました。

1 人で書いたん ですよね

『シンジツの教室』は面白い! 『バクマン。』の本編で公開された範囲でも最高だったし、未公開の部分もストーリィを聞くだけで楽しめる。

まさかの読み切り掲載を果たした『ラッコ 11 号』みたいに、『シンジツ』もスピンオフしたら楽しいですね。作者である七峰透の才能を感じました。

ところが──。

才能を 認めた 4 人に 意見してもらって、七峰は『シンジツ』を描いていた。これでは、七峰にはマンガ家としての能力が高いのかどうか、微妙になってくる。

ただ、その前に、「マンガを描く才能」って何? ──を考えなければなりません。この点がまさに、今回のテーマでしょうね。

僕の作品ですよ

サイコーは、七峰の次回作のことを聞いて、完全に彼の作品ではないと言います。──本当にそうでしょうか? 「意見を聞くのが 4 人なら大丈夫だけれど、50 人は多すぎる」では、説得力に欠けます。

編集者の意見を聞くことが掲載に必須の条件ならば、「作品をひとりで描いている」とは言えない。──この七峰の言葉に、亜城木夢叶は明確な答えを出していません。

おそらく、多くの作家がこの問題に立ち向かいながらも、「可能な限りは自分の意見を通す」と妥協してきたことでしょう。

それに対して、七峰は具体的に対策をしています。

いまの七峰の立場は「マンガ家」というよりも、「監督」に近い。いろんな人のアイデアを的確にまとめ上げている。

このまとめる力も、マンガ家の才能と言えるのか?

自分は、それも才能のうちだと思う。

他人の作品からアイデアや絵柄・構図などの要素をすくい上げてリミックスする人は、現実世界でもたくさんいます。自分が好きなクエンティン・タランティーノ監督のように、元の作品に対する敬意と愛があればそれで良い。

そして根本的な問題として──、そもそも「マンガは 1 人で描くものか?」という話になってきそうです。ここでは亜城木夢叶のようにコンビの場合も 1 人と考えて、それ以外の人間から意見を聞くことが悪なのか──と考えてみる。

たぶん、これまでのマンガ(出版)業界の常識からすると、作者が他人の考えを得ることは、問題があったのでしょう。

アイデアだけではなく、比較的かんたんに絵はコピー(トレース)ができるから、リスペクトという範囲を超えた模作があったりして、この問題はどこまでを禁止するべきかがむずかしい。

いい意味で 邪道なところ

すっかり七峰病をわずらった自分には、サイコーやシュージンのいうことが耳に届かなくなっています。この 2 人は、複数人と相談してマンガを描くことがなぜダメなのかを、確実な言葉では答えていません。

七峰のやり方を批判するならば、前回の感想で最後に書いた「俗に言う性善説に頼りすぎ」という意見以外にはないと思います。プロ意識のない「判定人」たちのせいで、いつかは「七峰のターン!」も終わるのでしょう。

バクマン。 #118-4 「裏と表」 倫理的と判定人 : 亜細亜ノ蛾

それがプロですよね?

上で映画監督の名前を挙げました。タランティーノでも黒沢明でも良いけれど、彼らや作品を指さして「でも、これって監督ひとりで作ってませんよね?」という人はいない(いても笑うだけ)。映画だけではなく、アニメやゲームも同じです。

なぜ、マンガ(や小説)だけが、作者だけの力を求められるのか? 大勢の意見を聞いて面白いものができれば、それで良いじゃないか──。これが、七峰の出した結論です。

自分には、彼の意見を完全に否定できる言葉を持っていません。亜城木も編集者も同じだと思う。

佐々木編集長あたりは、「ダメだからダメだ」(ドーーーン!!!!)とか「前例がない」とか言い出しそうですケド。

過信しすぎだ …………

思えばサイコーは、初めて会った「ジャンプ」の編集者──服部のことを、この人は当たりなのか はずれなのかと品定めをしていました(バクマン。 (2)』 p.18)。

まぁ、当時のサイコーは、ひとことで言えば「生意気なガキ」なのですが──、うらを返せば、編集者を信用して やっていかなければ駄目だという気持ちを初めから持っていたわけです。

それというのも、「おじさん(川口たろう先生)にそう言われたから」という──ここでも他人の意見にサイコーは左右されている。

はたして、正しいのはどちらだ?

コメント

  1. 永空 より:

    多人数の意見をきいてそれを集約して漫画にするというやり方は、
    良いか悪いかという前に、実現性に乏しいやり方なんじゃないかと思います。
    理由を箇条書きにすると、
    1.無報酬で、名乗り上げることもできないのに、毎週付き合ってくれる奇特な人はいない。
    2.週刊のペースで50人の意見で意見を交わしまとめるのは時間的に難しい。
    3.アマチュアが何人あつまったところで、作品の質を向上させるような意見がぽんぽんでるとは考えにくい。
    などなど。
    特に1なんかは、精神論的にもおかしい。
    意見提供者にただ働きさせておいて、そのくせこれはオレの作品だ!っていうのは、
    プライドぬんぬんと言うよりかは、人としてどうよ?ってレベルだと思いますね。
    家族にトーン貼りを頼むとか言うようなレベルではないですし、映画作りもゲーム作りも、
    多人数で作るものですが、ちゃんと報酬をもらって仕事としてやってますからね。

  2. asiamoth より:

    自分は、3 つともギリギリあり得ると思いました。
    たとえば、実際に「ジャンプ」で連載中の作家から、
    「あなたのご意見を聞かせてください!」
    と直接コンタクトがあって、
    自分のアイデアが本当に採用されるとしたら、
    グラッと心が動く人もいるでしょう。
    2 ちゃんねるやニコニコ動画・Pixiv などで
    「プロの犯行」と呼ばれるような高品質の作品を
    無報酬で公開している人たちもいますよね。
    「オレたちの作品が『ジャンプ』を変えている!」
    という満足感だけで付き合える人もいるはず。
    また、作中にあったように、
    チャットルームへの参加は任意なので、
    暇人はそれなりに集まるでしょう。
    現場の人間よりも素人の意見のほうが
    客観的で面白いこともあり得る。
    ただし、それを無報酬で毎週続けられるか──、
    しかも誰一人として秘密を漏らさず──、
    というのは疑問です。
    どの道、破局を迎えるのは時間の問題でしょうね。

  3. より:

    七峰のやり方は言われてるようにすぐ破綻をきたすでしょう
    お金の問題は顕著で、趣味範囲で済んでいる内は楽しんでのってくれるでしょうけど、いざ読み切り、連載となるとそうはいきません
    また、50人はネット住人である以上、素性が知れず誰一人信頼が置けません
    仕事として社会的責任を負ってない以上、ちょっとした意見の相違で喧嘩になって秘密を暴露するでしょう
    彼のやり方で許されるとしたら、ちゃんと面識があって現実に付き合いのあるスタッフを集め、共同で製作する事でしょうか
    報酬もきちんと契約を交わして払わねばなりません
    そこまでいくと、プロがスタジオを設けてやってる事と特に変わりありません
    当然、新人にそんなお金もノウハウもないでしょう
    編集がどうこう以前に、正当な手続きを踏まずに商業活動を行うのは、問題が発生した時に責任を取るつもりがないという事です
    出版社が本を刷って販売するわけですから、作品に対する責任も出版社が負うわけで、決して騙していい相手ではない
    サイコーやシュージンの言い分はあまり理論的ではありませんでしたが、プロとしての意識が欠けてるという指摘は間違いないかと
    知ってて黙っているサイコー達もどうよ?くらいの話じゃないでしょうか

  4. asiamoth より:

    おおー、やっぱりこの話題は盛り上がりますねー。
    コメントをありがとうございます!
    いま(まだ)書いている「119 ページ」の感想 2 で、あらためて自分の考えを示すつもりですが、
    この「無報酬でどこまで他人が協力するのか」問題は、
    理想と現実との両方を考えてみたい。
    現実的には「ねェよw」で終わるのだけれど、
    そこはそれ──、マンガの世界の話だから、
    ある程度の夢は盛り込んで欲しい。
    最低限のリアリティは必要ですケド。
    コメントを読むまで意識をしていませんでしたが、
    「プロの亜城木先生」が黙っているのは、
    たしかに問題ですね!
    ただ、バラすのはサイコーたちしかいないから
    黙っているのかもしれない。