『ZOKU』
「正義と悪」というのはありがちな、作家にとっては書きやすい構図です。
しかし、最近の風潮では「悪になったのには事情がある」とか「絶対的な正義、完全な悪などいない」という方向で、リアリティを出している作品が増えていますよね。(だからこそ今週の『ネウロ』は面白かったなー、というのはまた別の話)
さて、森博嗣氏が「正義と悪」という、ありがチックなテーマにどう挑むのか、というと、なんと、
「正義と悪戯(いたずら)」
という、何とも笑える状況を創り出してしまいました。
『ZOKU』は森作品の中でも、ライトノベルに近い、かなり読みやすい一冊です。「森ミステリィからミステリィを引いた感じ」でしょうか(答えは森、という意味ではない)。
正義の組織と悪戯の組織
悪、ではなく悪戯の組織・ZOKU(ゾク)は、犯罪にならないギリギリの線をついて、人騒がせな悪戯を行う。そこを正義の組織・TAI(タイ)が捕まえたり未然に防ごうとするのですが──、
どう見ても、どっちもそんなには真面目にやっていない。
そんなことより、恋愛に力を入れたり、「この企業に就職して良かったのか」と考えたりする。──そう、悪戯の組織って、就職して入れる会社だったりするところが面白い。
いちおうは、それぞれの組織の存在理由などが語られるのですが、あんまり肩に力に読める話です。
しかし、最後に背筋がゾクッと来る(洒落ではない)謎が書かれているのが、森作品らしいですね。
笑えるところ
森ミステリィでも笑えるシーンが多いですが、『ZOKU』とは比べものになりませんね。
たとえばこんな感じ。
小さなテーブルを囲んで、木曽川、揖斐、永良の三人が向かい合っている。世に言う、三川(さんせん)合流であるが、こんなローカルな話題は以後慎んだ方がよいだろう。
『ZOKU』 p.45
主人公(の一人)・揖斐純弥(いびじゅんや)とヒロイン・永良野乃(ながらのの)の会話は、掛け合い漫才のよう。
「(……)科目は何が得意だった?」
「私は何でもオッケイ。不得意なものは、なし。全方向型ってやつ」
「指向性ゼロなんだ」
「なんで、思考性がゼロなわけ ?」
『ZOKU』 p.71
犀川先生と萌絵の会話を思い出しますね。実際、二人の関係、距離感が似ています。
山本なんとかというマンガ家
とくに面白かったのが、この場面。
野乃が、ある作戦を実行するために、揖斐を説得したけど反対される。そこで、野乃は脅迫まがいの行動に出ます。ある秘密をばらす、と。その秘密というのが──。
「山本なんとかっていう漫画家の本、全部買っているんでしょう?」
(……)
「いや、あれは別にいやらしくもなんともなくて、その、芸術というか、もう、カリスマ的なアーティストで……」
『ZOKU』 p.175
しどろもどろになって言い訳をする揖斐が面白い。
さて、その「山本なんとか」さん。コアな森ファンだったらピンと来ると思いますが、この方で間違いないでしょう。
「山本なんとか」さんが山本直樹氏、というのは根拠があって、書籍化された森博嗣さんの日記、『毎日は笑わない工学博士たち』に二人の交流が書かれています。その様子をマンガに描いたのも山本直樹氏。森さんはマンガ会でも凄かったようです。
「山本直樹」でピンと来なくて、「森山 塔」とか「塔山 森」でわかったアナタ! ……(アナタの肩を叩いて何度もうなずく動作)
「フランスへ行きたしと思えども フランスはあまりにも遠し せめては フランス書院で森山塔をそろえている自分」