ネットの人と会うことについて
今日は「やられた!」という記事を読んだので 1 回休み(柴田亜美さんの『ドキばぐ』ネタだが、分からない人は無視しよう)。
id:kowagari ことテラヤマアニさんの記事に、自分が前から温めていた(温めすぎて腐っていた)思いが書かれていた。
自分の好みの文章を書いてたり、度を超して面白いことを書き続けてたりする人だと、だんだん「いったいこの人はどんな人なのだろう」と思い始める。そしてそれが高じて、「なんかちょっと、一回会ってみたい。飲んでみたい」みたいなね。
ないんです。ない。基本的に会いたいとかビタイチ思ったことない。ずーっと書き続けてほしい、ずーっと面白いものを読ませてほしい、とは思うけど、会いたいと思わない。
「はてブ」での反響も大きい。世間的には少数派と思われる意見も、ウェブ──というか「はてなブックマーク」のユーザという狭い範囲では、賛同者が多いようだ。
はてなブックマーク – ネットの人と会うことについて – おれはおまえのパパじゃない
「会ってみる」と「友達になる」(継続的に交流が続く)は別
id:kanose さんのアンサーソングも良かった(ソング?)。
(……)小説でも漫画でも何でもいいけど、作者から直接話を聞くという経験は非常に面白い。それほど好きではない作品だって、作者に話を聞いてみると、なるほど、そんな背景があったのか…などいろいろなことがわかる。でも、その作者とずっと交流が続くのか?と言ったら、当然そんなことはない。よほど、何かお互いに通じることでもない限り、交流が続く訳ではない。
はてぶコメントの広がりも見て欲しい。
はてなブックマーク – 「会ってみる」と「友達になる」(継続的に交流が続く)は別 – ARTIFACT@ハテナ系
オフラインで合うことについて、2 人の見解の違いが非常に面白い。
この 2 人の違いは何なのか。
インタビュー記事
実際に会って話すこと、といえば──。
大昔に読んで自分のツボに入り、いまだにときどき思い出して笑う、「冷麺」(サイト名)の記事がある。管理者は同じテラヤマアニさん。
熱帯魚にハマっていたテラヤマアニさんが、水槽の企画立案者に会って、話を聞いてみたいと思
い、なんならインタビューをWEBにアップしてやろうとか考え
たそうだ。
しかし、テラヤマアニさんが想像したインタビューの結果がこちら。
title="いや、いいんですいいんです。好きに書いたらええがな。ブログなんやから。と思いつつも僕の理想としてるブログっつーのがありまして、まず理想語る前に現状のブログに思いを馳せますと、もうとにかくクリッピングしすぎでしょ。つまりですね、みんな取材してないんですよね。いや、僕も含めて。人が取材して一生懸命書いた記事にリンク張ってなんか言いたいこと言ってるだけっていう。 企画サイトでいい線行ってるというか、人が考えつかないオモシロ企画考えてる人はたまにいますよ。でもそれって取材じゃないですよね。そういうんじゃなくて、自分の頭使って自分の足使って地味ーな取材してるサイトって、驚くほど少ない。みーんなネットの中だけで完結してる。ネットで調べてネットで披露。">「あ、あの、オ、オデ、インタビューしたい。あの、スティングレーのシトと、話が聞きたい。いるか今」
一字一句この通りの口調で話すとも思えないのだが、2008 年のいまでも会っても「あ、ども……」くらいしか言うことないし……
と書いているところから、それほど想像から遠くない結果になっていたのかも。インタビュー企画は自分も妄想したことがある。妄想の結果は、やはり上のような感じになりそうだ。
id:kanose さんが作者から直接話を聞く
場合、上のようにシドロモドロになるようなことは、おそらく想像もしないだろう。
──それが 2 人の差だろうか?
違いは何?
けっきょく、抽象すると「2 人のコミュニケーションスキルの差」がそのまま意見の差になる──という結論になりそうだが、少し違和感がある。なぜだろう。
どうも、「友だちになる/ ならない」という軸を中心に考えると、答えが出ない気がする。「友だち」の定義は人によって違う、というところが大きい。そうではなくて──。
「会うことで初めて得るもの」があるかどうか、という認識の違いではないだろうか。
テラヤマアニさんは「はーん。こういう人だったんだ。はいはい納得。理解したからもういい」
と言われることを恐がっている。恐がり
だから。しかし、実際には、ご自身が相手にそう思うのではないか。そうではないと、なかなかこのセリフは頭から出てこない。
「『クラスの奴 馬鹿に見えるか?』って質問 サイコーがクラスの奴 馬鹿に見えるから出る質問じゃん」と語る、『バクマン。』のシュージンに通じる物がある。
つまるところ、「その人が書いたこと」以外でその人に興味を持つかどうか、という違いなのかも。
まとめ
そもそも自分が Movable Type でブログを始めたのも、ARTIFACT ―人工事実―が好きだったから。──なのだが、中の人・加野瀬さんに会ってみたい、とは一度も思わなかった。
一番好きな小説家は森博嗣さんだが、やはり会ってみようとは思わない。ファンクラブすら入っていない(作家活動をやめたあとは、情報収集のためにファンクラブに入るかも)。
この「別に会いたくはない」という感情は異常なのではないか。面白いと感じた人には、会いたいと思うのが当然ではないか。──自分の中でモヤモヤと思い続けていた。
まだ答えはハッキリと出ていないけど、同じような意見を読んで、少しモヤが晴れてきた。
その一方で、加野瀬さんが言う個人サイトでも、管理人のアウトプットに関心があるのなら、そのアウトプットが出るまでの経緯や、ネットに出てこない部分などは、直接会えば、いろいろな話が聞けて面白い
──とは、まったく思えない自分は、少し損をしているのかな、とも思った。
イラストやマンガを描く過程を雑誌やウェブで見るのは大好きだけど、会って話を聞こうとは思わない。徹底的に「読む」ことだけを求めている。