バクマン。 #21-4 「壁とキス」 不安な帰り道と 2 人の服部

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『バクマン。』 21 ページ 「壁とキス」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 08 号)

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『バクマン。』ってどこが面白いのだろうか。ときどき、分からなくなる。

ジャンプ編集部の内部をバクロする──それが本作品の売りと思っている人は多いだろう。しかし、そこには面白さはない。ほんの少しだけ、知識欲が満たされるだけだ。コミックスの一巻を読んだだけの人は、もしかすると「マンガの描き方講座」が延々と続く、と思っているかもしれない。もちろん、そんなレベルは終わっている。

この作品には、不思議な力は出てこない。刀剣や魔法なども(マンガ内マンガにしか)なく、目に見えて派手なバトルが起こるわけでもないのだ。未読の人に勧める場合には、「天才的な中高生の 2 人がマンガ家を目指す話」としか言いようがない。──それを聞いて、読みたがる人がいるだろうか?

それでも、『バクマン。』は面白い! どこがって?

単純なことだった。「ワタシの『どこ』が好き?」と聞かれたときと同じである(聞かれたことはないが)。──「どこ」ではなく、「すべて」。

今回の感想は、また 3 ページしか進まなかった。今週号の中でも とくに面白みのないページのはずだが、書きすぎないように抑えるのが大変だ。それくらい、面白い。

俺ダメかも

学校からの帰り道、友だちと自転車でダルそうに帰る──。よくある風景だが、サイコーとシュージンとの会話は一般的ではない。プロを目指す人間同士の真剣な語らいだ。

この 2 人にとっては日常的な話し合いだが、いつもと違う雰囲気に心細さを感じる。このページでは意図的に 2 人の表情を隠しており、それが不安を誘う。いつもながらウマい演出だ。

この時の何気ない会話が、後半の転機につながっている。ほかと同じようにコマを割って帰宅のシーンを描いていたら、読者は違和感に気が付かない。読者に違いを示すためには、大げさに表情を変えるなどの不自然な演出が必要になる。

大場つぐみ×小畑健作品は、本当にこうした「正解」の画(え)が多い。原作者と作画担当とが両方ともネームを描く、という独特な手法の成果だ。

勝手に動く

2 人が言う動かしたくなるってキャラは、どうすれば生まれるのか。今後の展開でそのヒントが描かれることを期待している。

自分は、小さいころにオリジナルキャラを空想して遊んでいた。何時間でも想像の世界でキャラクタを動かせたのだ。もちろん、完全な創作ではなく、そのときに読んだ作品に大きく影響を受けている。『暗黒城の魔術師』や『火吹山の魔法使い』・『魔法使いの丘』(『シャムタンティの丘を越えて』)といったゲームブックが想像の元だった(左にあげたシリーズは復刻版が出ている!)。あのころの想像力を今も持っていれば、どんなに楽しいだろう。

「子どもは天才だ」と言う人が多い。オトナには思いつけない発想を子どもがするからだ。上の段落を書きながら、昔の自分にも天才が宿っていたのでは、と無意味な自画自賛をする。しかし──オトナに比べて子どもが自由な思考をできるのは、子どもがオトナより優れた頭脳を持っているからではない。オトナになると、勝手に自分で自分の思考を狭くしているだけだ。

あんたも 服部だろ

今週の服部は、珍しく編集者たちとの会話が多い。しかも、意外と強い口調なのが驚く。服部が編集部でどのような位置にいるのかは知らないが、口調からして相田(メガネの人)は上司に当たるのだろう(たんに年上なだけ?)。それなのに、馬鹿な事 言わないでくださいと切り出している。そのあとに続く言葉はサイコーとシュージンに対する思いやりを感じるのに、相田に対してはこのような態度なのか。

ずっと前から気付いていたが、現実世界の雄二郎氏の姓も「服部」だ。作中でも同じだった(当然と言えば当然)。

自分は比較的めずらしい名字で、今まで近場でカブったことがない。だから、鈴木さんや佐藤さんの苦労を知らない。服部という名字の人も多いはず。雄二郎(あくまでも作中のキャラなので呼び捨て)は、今まで哲に対して「服部」と呼ぶことに抵抗がなかったのだろうか? まぁ、それほど親しくない 2 人が「哲」「雄二郎」と呼び合うのも変だが。

もちつもたれつ

その雄二郎が、面白い話を持ってきた。でかした、雄二郎!

この展開は、自分は夢想だにしなかった。マンガ読みとして、自分はつくづく甘い。熱心なファンなら当たり前のように思いついただろう。

ここでも服部は、敬語でありながら強すぎる調子で受け答えをしている。ジャンプ編集部は、いつもこんなギスギスした空気が漂っているのか。とくに服部が浮いた存在にも見えず、言われた雄二郎も気にしていない様子だ。

編集者は普段、どんな仕事をしているの気になる。今回、服部はデスクに向かっているが、相田と雄二郎はフラフラしているように見える(この 2 ページだけの話だが)。「編集者は待つのも仕事」と聞く。待機している間にデスクで何をするのだろう。

『バクマン。』を読んで、マンガ家を目指す人だけではなく、編集者になりたい人もいるはずだ。別にこの作品はハローワーク推奨マンガではない。だからどこまで描かれるか分からないが、編集者の仕事をもう少し見てみたい。