εに誓って
そもそも人間って、誰だって期限付なのに。
永遠に生きる奴も、永遠につき合う友人も、いないのに。
『εに誓って』 p.188
森博嗣先生のGシリーズ・4 冊目の作品である。
今年中──おそらく数か月以内には、文庫になるはずだ。しかし、いつまでたっても「新刊情報」に登場しない。待てど暮らせど会えない、彼女のようだ。──個人的な話ではなく、この文脈で出てくる彼女とは、あの天才である……。
待ちきれないので、講談社ノベルス版で読んだ。──正直、ノベルスと文庫はサイズがあまり変わらないので、どちらでも良い気がする。
さて、ミステリィ作品としての『ε』は、ほとんどワントリックだ。注意深いミステリィ・ファンであれば、途中で真相に気が付くだろう。これほどトリックらしいトリックは、森作品でも珍しい。
しかし、作者がアマノジャクなため、単純な「謎を解いて終わり」という作品には なっていないのだ。犯人よりもトリックよりも、もっと重要な大きな力が後ろに見え隠れする──。
死へ向かうバス
死ぬことがそんなに恐いのは、間違いなく錯覚だろう。社会がそう教えただけなのだ。眠ることに対しては抵抗がないように、意識を失うことにも抵抗しない。むしろ気持ちが良いものと感じられる。
『εに誓って』 p.149
G シリーズには、多くの自殺者が登場する。ほとんどが「死体」として出てくるだけで、彼らの内面が描かれることはなかった。死者が残したものから、彼らの人生を想像するしかない。
それに対して、本作品では自殺志望者の内面が描かれている。取材をしない・ノート書きをしない・ほかの作品を参考にしない作者のことだから、観察と想像だけで書いているはずだが──重い。
間近に自殺を本気で考えている人間はいないし、自分も あまり人生に悲観をしないので「リアルかどうか」は分からない。それでもたぶん、自ら死を選ぶ人は、このようなことを考えているのだろうな、と思う。彼らが近くにいたら、自分に何か言えることがあるのだろうか……。
たぶん、なにも、ない。
犀川は彼女と話す
しかし、今すべきことはなにも見つからない。
多くの場合、思考が導く結論を吟味したあとには、必ずこの台詞(せりふ)を聞くことになる。
たしかにそのとおりだ、しかし、今すべきこと、今できることは、なにもない。
『εに誓って』 p.94
G シリーズの主人公は、加部谷恵美(かべや めぐみ)・山吹早月(やまぶき さつき)・海月及介(くらげ きゅうすけ)のトリオである。──そのはずだった。
犀川創平(さいかわ そうへい)・西之園萌絵(にしのその もえ)・国枝桃子(くにえだ ももこ)の 3 人は、S&M(犀川・萌絵)シリーズが主な活躍の場であり、G シリーズではご隠居のような存在である。──そのはずなのに……。
どうしても、犀川と萌絵のコンビ芸(夫婦芸?)に目が行ってしまう。2 人の親密度とか……。親密さと言えば、国枝先生の ご家庭も、気になるところである。
なぜだろう? 加部谷がボケて、山吹が力弱くツッコんで、海月が無視する──というコンビネーションが弱いのか。せっかくのアニメ声という需要がありそうな能力も、この二人には無効だし。
それとも、犀川先生が超人過ぎるからかもしれない。ボケもツッコミも(自分の中だけで)事件解決も、すべて一人で行なってしまう。さらに本作品では、もう一つの新しい能力を読者に見せる……。
彼女のゆくえ
「わかりません」彼女は微笑んだ。「わからないから美しいのよ。生きてしまえば、ただの生きもの、死んでしまえば、ただの物体。でも、そのどちらでもないものがあるのです。それが作り出せる。私にはそれができる」
『εに誓って』 p.255
森作品を読んでいると、何度も「美しさ」を感じる。人物の容姿などではなく、人間の思考が美しい。
美しい思考の究極の姿は何か──それが作者の描こうとしてるものの正体だと思う。それは一人の人物に集約されるわけだが、けして「完全なる人間」としては描かれていない。それが面白い。作者の非凡さを感じる。
──そもそも平凡な人だったら、「密室トリックの謎」とか「犯人は誰だ?」とか「犯行の動機」を一切はぶいたミステリィ作品は、書けない。