『バクマン。』 46 ページ 「目力と協力」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 34 号)
ジャンプマンガの主人公は、
「良く言えば信念がある、悪く言えば意地っ張り」
というタイプが多いです。
サイコーも同じですね。今回の亜豆との会話を聞くと、よく分かります。
考えてみれば当たり前のことで、主人公が態度を二転三転させていては、作品全体の軸がぶれる。
──そこでちょっと思いついたのが、「ものすごく人の意見を気にして言うことをコロコロと変える主人公」というのは、どうでしょう(聞かれても……)。ギャグマンガになってしまうかな。
亜豆さんしか
先週号で、もったいぶった終わり方(まるで愛の告白をする直前の顔)をしたワリには、亜豆はストレートにサイコーを止めましたね。ちょっと、肩すかしを食らった感じがします。
なんとなく、「私を月に連れて行って」くらいのムチャを言って、病院から一緒に抜け出す──みたいな場面を想像していました。サイコーの容体を見ても、亜豆の性格を考えても、そんな事が起こるはずはないのに。
これも、『バクマン。』のマジックですね。本作品では、意外と「以前に言っていたとおり」の事がよく起こります。「シュージンは見吉に告ったことになってる→つき合い始めた」とか「ジャンプらしく王道マンガで行こう→いろいろあって王道の探偵マンガを描くことに」とか「サイコーを止めてくれ!→止める」とか……。
嫌いになる
亜豆の止め方には「女のずるさ」を感じました。これは、決してやってはいけないことです。
男の夢──というか、ひとの夢と何かとを天秤にかけさせる行為は、絶対にやめましょう。
この状況で「じゃあ描かない」と言うと、サイコーも男を下げることになるのです。止めることはよいのですが、止め方が悪い。「体を治してから描いたほうが、良い作品になる」という方向で説得するべきでしたね。
普段の亜豆だったら、それくらいは分かりそうなものです。あり得ないくらい彼女はあせっていた、ということですね。
えっ 8 年?
自分が好きになる前に、相手から好かれていた──なんという幸せな状況でしょうか!いっそこのまま、「サイコーは天に召されました──」という終わり方で良いのでは(よくないよくない)。
亜豆の回想シーンに出てくるサイコーの絵は、たしかに上手ですね。小学校 4 年生の絵とは思えません。とくに、絵の枠から男の子が はみ出ているところに、才能を感じます。これくらいの年代であれば、普通は全身を絵の中に入れますよね。そして、こぢんまりした絵になってしまう。
鳥と緑がいっぱいに
美雪ママは 8 年前から変わっていませんね。三十代の前半から縦ロールだったとは、思いませんでした。「高校デビュー」してから、まったく髪型が変わっていなかったりして。
自分の娘が好きな絵の作者は、「真城」だった──。美雪は、複雑な心境でサイコーの絵を見ていたのでしょうね。
この時、川口たろう先生に兄がいることを、美雪は瞬時に思い出しています。失礼ながら、意外と頭の回転が速い人なのだな、と思いました。
しかし、「私のことが好きだったはずなのに、別の人と結婚していたの !?」と勘違いしても おかしくない状況ですよね。ヘタをしたら、サイコーとシュージンが亜豆家に来るまで、ずっと思い違いをしていたかもしれません。
すごく気になってた
亜豆の反応から見ると、絵を 見た時から
というよりも、サイコーの顔を見て好きになっていますよね。完全に一目惚れです。
遭遇できた
という亜豆の感じ方もロマンティック!
恥ずかしがり屋の彼女は、自分から会いに行けなかったのです。それが偶然に出会えて、キラキラと輝く目を見て、さらに好きになる──。
亜豆は、人生の半分近くもサイコーのことを好きだった──。とにかく、サイコーが うらやましい!
チビ亜豆とチビ見吉の扱いの差が面白いです。見吉は、小さいころから「油断した顔」をしているのですね。亜豆はいつも、「かわいいオーラ」を発しています。
小 5 のころ、すでに亜豆は声優の夢を持っていたとのこと。しかし、いまだに「亜豆が声優を目指す理由」が分からないんですよね。サイコーも聞こうとしない。ちょっと、理由が気になる。