『屍鬼』 – 原作: 小野不由美, 漫画: 藤崎竜
『屍鬼』 9 巻が(とっくの昔に)発売されました!
毒々しくも美しい桐敷千鶴(きりしき ちづる)と、彼女を支える桐敷正志郎(きりしき せいしろう)がイラストの表紙です。『屍鬼 8』でかわいらしい一面を見られたおかげで、千鶴が一段とキレイに見えました。
小・中学生男子は、レジに持って行きにくいけど。
尾崎の策略
尾崎敏夫(おざき としお)の計画が明かされました。ふたを開けてみれば、意外とシンプルでしたね。
こうやって強引な手段を使うのであれば、もっと早い段階でやれば良かったのに──と思う人も多いでしょう。この霜月神楽(しもつきかぐら)の場所・時期まで尾崎が待ったのは、いくつか理由があります。
まずは、千鶴が根源的な恐怖
を感じる場所であること。
千鶴は戦闘向きの屍鬼ではないので、攻撃力の低下を狙ったわけではない。おそらくは、千鶴の思考力・判断力のにぶらせる目的で、尾崎はここまで連れてきたのだと思う。千鶴は、尾崎に騙されていることに気がつかなかった。
次に、人間の多い場所であること。
(鈍感な)村人の多くに屍鬼の存在をつきつけるためと、味方を集めるため、尾崎は神楽まで待ったのだと思われます。
それなら、いきなり村の道ばたで屍鬼の正体を暴いても同じでは──という人には、次の理由が説明になるでしょう。
霜月神楽が、楽しいイベントであること。
じつは、この理由が一番大きいはず。自分にとってキケンな場所なのに、(もっともキケンな男と)千鶴は自分から進んで神社へ向かっていった。
そして、村人にとってもハレの舞台であり、みな浮かれている。このフンイキが大事だと思います。そうでなければ、「人間の形をした生物が壊される場面」を目撃した村人たちは、もうすこし尾崎に反発していたはず。
ところで──、常識的な目で見れば、尾崎は狂っている。「村人たちのため・村のため」に屍鬼を狩ろうとしている──ようには思えません。楽しんでいるようにも見える。
そう、屍鬼を倒そうとする強い理由が、尾崎にはない。まるで、「正義のために戦っている」かのようです。しかし、『封神演義』に出てくる太公望の役は、尾崎には似合わない。
清水恵(しみず めぐみ)の父親が千鶴に杭を打ち込む姿は、なかば狂人のようでした。でも、自分の娘を殺された苦しみ・悲しみが、憎しみに変わることは納得ができます。
ということで、尾崎に子どもがいて、屍鬼に──という展開のほうが分かりやすかったですね。
その場合でも、尾崎は恭子に手を下しただろうか?
千鶴の最期
──と、そんな分析モドキは置いておいて……。
『屍鬼 (8)』の感想で、ワタシの心は桐敷千鶴に傾きつつある! それくらい、今回の千鶴はかわいらしかった
──なんて書いていた自分には、彼女とのお別れが悲しい。8 巻であれだけ千鶴を魅力的に描いていたのは、9 巻で読者と千鶴をたたき落とすためだったのか……。
『屍鬼』 8 巻 小野不由美×藤崎竜 – 恋も思い出す小芋の思い出 : 亜細亜ノ蛾
今回、タイトルのところで尾崎が千鶴を引きずっている絵を見て、ゾッとしました。
尾崎恭子(おざき きょうこ)に続いて、好きになった人物が尾崎に■されるのは 2 人目です。あの時も、つらかったなぁ……。
『屍鬼』 6~7 巻 小野不由美×藤崎竜 – 生きる苦しみ・不死の痛み : 亜細亜ノ蛾
千鶴の最期を見ていると「女性とはいえ、悪さをしてきたから(作者に)裁かれた」みたいに思えますが──、その法則は恭子には当てはまらない。尾崎にとっては、屍鬼はすべて敵です。
こうなると、清水恵も──。
人類最強は?
田中かおり(たなか──)の戦闘力の高さが示されました。
自分の父親が屍鬼である──と気づいた 2 秒後には、的確に致命傷を狙って攻撃している。さらには、手持ちの武器では効果なしと即断し、より殺傷能力の高い武器と攻撃方法に切り替えた。「事後の処理」も素早い。
- かおり:
- 「
何て 気配…… まるで 獲物を狙う ライオンのよう
」
お前のことだーーーッ!
あまりにも遅いタイミングで、ブラック★ロックシューターみたいに目を燃やしていた結城夏野(ゆうき なつの)が助けに来ましたけれど──、かおりだけで辰巳(たつみ)以外には圧勝できるのでは?
人間側の最強は、大川富雄か田中かおりか──といった強さです。どちらも、人間離れしている。
父親を認識した直後に瞳孔がキュウウウッ
と小さく(?)なったところや、地球外生物と思われる生命体(バカ犬
・ラブ)と同居していること、この本能的な強さからして──、
田中かおりは、屍鬼でも人間でもない第三勢力かもしれません。
夏野の行動
尾崎と組んだ夏野の計画が、ハッキリしてきましたね。
興味深いことに、屍鬼が人間を操る際の優先権は「先取り制」だということ。これはいままで描かれなかったし、尾崎や夏野も知る機会はなかったはずですが──、どうやって 2 人は気づいたのだろう?
もしも操りが「上書き制」だったら、尾崎は千鶴に操られていたはず。──まぁ、その場合はもう一度、夏野が血を吸うだけか……。
現在の尾崎は、8 巻で明かされた「人狼になる条件」に近づいているのでは? このまま夏野が尾崎の血を「死ぬ直前まで吸う」ことで、尾崎は人狼になれそう。
ただ、日本で数人しか確認されていない人狼が、そんなに簡単に「作れる」とは思えません。やはり、才能や体質が大きく関係してくるのでしょう。
それよりなにより──、夏野の命令に、尾崎は逆らえない。この状況が、あとあと重要になってきそうです。
(そして、この設定を生かした二次創作が、いくらでも作れそうだな……ゴクリ……)
沙子語録
久しぶりに、桐敷沙子(きりしき すなこ)の言葉を引用します。
ねぇ 室井さん わたし お腹が すいたの
──え? というくらい何てことのないセリフですよね。それに、室井静信(むろい せいしん)の血を沙子が吸うこの場面は、なんだか唐突すぎる。
自分の想像ですが、室井が自殺しようとした話を聞いて、沙子は──欲情したのでは、と思った。屍鬼にとって血を吸うことは、生の本能──エロスなわけです。自分と同じ屍鬼の世界へと導く、愛の儀式とも取れる。
作者がどこまで計算して描いたのかは知りませんが、自分にはこの沙子の吸血シーンは、この上なくエロティックに見えた。
死の本能──タナトスに突き動かされている室井と、生き延びようとする沙子が、お互いに惹かれあう。なんとも面白く、美しい。できれば、誰にも壊して欲しくない……。
蛇足そくそく
今日も例によって、サブタイトルはゲーテの言葉(幼児を抱いた母親ほど見る目に清らかなものはなく、多くの子に取り囲まれた母親ほど敬愛を感じさせるものはない
)から借りました。元の言葉は、美しいイメージなんですけどね……。
この「タイトルを名言から借りる」シリーズは、どこまで続けられるか(自分で勝手に)挑戦しています。「週刊少年ジャンプ」のマンガ・『バクマン。』の感想を書いた記事以外は、このルールを通したい。
まぁ、ムリだったら速攻でやめる──という人生を送っていますけれど。