『バクマン。』 106 ページ 「試合と祭」 (週刊少年ジャンプ 2010 年 47 号)
マンガは芸術なのか? という話題が出てきました。
森屋にとっては、「マンガ」と「芸術」とはイコールで結ばれている。それは、自分も同じ主張です。
ただ──、マンガの世界で「芸術のための芸術」を実現しようと森屋は苦労している。いろんなジャンルで、森屋のような人を多く見かけますね。芸術って、そんなに「上の存在」なのか?
もうすこしシンプルに、「人を感動させる物」または「それを生み出そうと活動すること」が芸術だ──と自分は思う。
だから、ワケの分からない絵画よりも、心を動かされるマンガのほうが芸術です。──これは芸術・マンガ全般の話ではありません。素晴らしい絵画も、くだらないマンガも当然ある。
世の中には「一部の人間にしか価値を見いだせないモノ」を、とりあえず「芸術」と呼んでいるように思います。そして、その「高尚なモノ」に大金を支払いたがる人間が多い。まぁ、趣味はお好きに……。
森屋も母親も、着地点が違うだけで「芸術至上主義者」ですね。よくよく見れば、なんとなく顔が似ているし。
自慢できる作品にしてみせる!
白鳥にライバル心を燃やし続けていた(そして燃え尽きたように見えた)森屋まで、白鳥の味方をしています。これもまた、バトルマンガ的で燃えますね! 「ふっ ほかのヤツに 勝負をジャマされたくないからな……!」みたいな感じ。
サイコーの加勢のしかたも良いです。白鳥から見れば「先生」なのに、僕の方が 学ばせて もらってる
、とサイコーは言う。これはなかなか言えることではないですよね。
新妻エイジのアシスタントをしていた時代も、中井から一番絵のことを学んだとサイコーは言っていました。どこまでも謙虚に作画の道を歩むサイコーです。絵のこと以外では、冷たいけれど……。
売れない画家の方が
この母親には絶句ですね。『バクマン。』史上もっとも薄っぺらい・安っぽい・俗っぽい価値観の持ち主です。この人といくら話しても説得なんて無理
だと言う、カヤの気持ちもよく分かる。
おそらく、「自分の子どもをマンガ家にさせたくない親」と「マンガを否定的に見くだしている人たち」とを合わせた象徴として、作者はこの母親を描いているのでしょうね。
いつものマジックを使っても、ここから母親の印象を良い方向へ変えることは、さすがの大場つぐみさんでもムリだと思う……。
作品にも よるけど
照れながら告白をする人美がかわいらしい! ただホホが赤らんでいるだけなのに、異常なほど色気を感じます。『SLAM DANK』に並べて『るろうに剣心』を出してくるところも渋い。
こんなにも人美がシュンを応援しているのに、父親は今回、ほとんど話していません。いったい何のために来たんだ……。
母親が一番問題であることは間違いないけれど、父親の無口さも何とかしないといけませんね。どうしてここまで発言力がないのだろう?
家を出てまで やりたかった
シュンのやる気を確かめる人美は素晴らしいですね。彼女がこのマンガのヒロインで良いのでは?(このブログの定番フレーズ)
家を飛び出した時点で、シュンはマンガ家を本気で目指していました。寒い中、野宿をするなんて並大抵のことではありません。
そしてこの場面でハッキリと言葉にすることで、シュンの決意はますます固くなったはずです。たぶん、人美もその効果を狙ったのでは?
あきらめたら そこで試合終了だよ
このページは感動的な場面なのに、ちょっと笑えます。
マンガ家を目指す弟に対して、マンガに出てくる言葉ではげますなんて、シャレていますね。『バクマン。』内でほかのマンガから引用するなんて、かなり久しぶりです。もしかして、『バクマン。 (1)』以来かな?
でも、ここでシュンが赤くなっているのは、なぜ?
それほどマンガ好きではなくても知っている人が多い安西先生の名ゼリフを、母親ひとりだけが分からない。そして確実に、自分の挙動がアスキーアート(Σ(゚Д゚;≡;゚д゚))に似ているなんて知らないはず。
この場面で一番笑えるのは、ここまでほぼ無言だった折原が急に元気になって、エラそうに母親をにらむところです。彼は本当に、盛り上げ役に徹していますね。マンガを描くことよりも……。