『進撃の巨人』 7 巻 諫山創 – 涙は生の証

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諫山創 『進撃の巨人』

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流した涙の分だけ──前へ進める

待ちに待った第 7 巻は、最高に おもしろい! 登場人物にとっては、楽しいことなんて何一つないけれど……。

第 6 巻の最後は、全人類にとって大きな希望が見えてくる展開でした。ようやく巨人の正体そのものに近づける! かと思いきや──、

そこには絶望しか見えなかった。

なにしろ、サシャ・ブラウスですらギャグを言っていません……。いや、彼女は真面目な発言しかしていないのですが、結果的には笑えてしまう。ところが今回は「普通に忠告」しただけでした。

気分が沈む展開のなかで、アクションの場面が素晴らしい! 立体機動装置の格好良さと、圧倒的な巨人の迫力が、両方とも最大限に生かされています。

全話が見どころしかない 1 冊ですよ!

跡を濁して逃げる

新型の「対 特定目標拘束兵器」の効果を試せて、えも言われぬヨロコビを味わうハンジが良いですね!

とくに「女型の巨人」は痛がらないから、「ビーン」の時みたいにハンジも一緒に泣く必要がない。心の底から「責め」だけに専念できます。いやらしい娘やでェ、ホンマ……。

「女型」の頭上で拷問をほのめかすリヴァイ兵士長も、「中身」と心理戦を展開していると言うよりは、8 割以上は本心だったに違いない。ハンジと一緒に「中身」に対する実験を繰り返しそうです。

そんな彼らから逃げるための「女型の巨人」の一手は、エルヴィン団長すら だまされた「捨て身の行動」でした。こんなの防ぎようがない……。

まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」です。

それでもハンジの言葉を覚えていて、即座に次の予測を立てたエルヴィンは すごい! 彼のような有能な人間が頭を務めていたら、一生ついていきたくなりますね! 短い一生に なりそうだけれど。

死を背負い進む

ペトラ・オルオ・エルドの 3 人が、こんなにも強いと思わなかった! とくにオルオなんて「口だけ番長」にしか思えなかったのに、最期まで勇ましい姿です。

──そう、最期まで……。まさかグンタを含めて 4 人とも亡くなるとは思いませんでした。

ペトラたちの死を見届けることも、兵士長としてのリヴァイの役目です。とくに彼女の亡きがらを見つめる彼の目は、なんと悲しそうなことか……。

友だち(以上の関係)のために戦えるミカサは、リヴァイには うらやましく思えたでしょうね。

エレンの後悔

オレが最初から 自分を信じて 戦っていれば…」とエレンが悔やむ気持ちは、この巻の序盤でアルミンが言った「結果責任」の話と対応しています。

残酷なようだけれど、エレンは「大事なものを 捨てることが できる人」では なかった。いまは、まだ──。

「決断」とは「何を断つか決めること」であり、予想以上の損失すら受け入れることです。仲間を信じる気持ちによって、自分を信じ切れずに裏切るなんて、あまりにも皮肉な運命だけれど……。

一撃の威力

第 29 話 「鉄槌」は大迫力です! 人間が操る巨人同士の戦いを初めて描いた回は、知的で野蛮な戦闘をたっぷりと楽しめました。素晴らしい!

それも作者の画力あってのことです。

「人物の描き分けが できていない」なんて作者の諫山創(いさやま はじめ)氏を批判をする人も多いけれど、「お前それシャガールゴーギャンの絵の前でも同じ事言えんの?」ですよ! あるいは「見る目がない」と言いたくなる。

エレンの巨人体が「女型の巨人」を吹き飛ばす拳の迫力は すさまじかった! 本能のままに動いているように見えて、これまでの訓練の たまものです。

──しかし悲しいかな、巨人の腹部への攻撃は有効打に ならないんですよね。「女型」も すぐに回復して逃げている。もしも頭部に当たっていたら、エレンが勝っていたかもしれません。

その直後に「女型」が出した一撃は何だろう? 巨人化したエレンの頭部を、樹木ごと「切り裂いた」ように見えます。

単純に手刀を硬化したにしては、「何かに気がついたような」エレンの表情が気になる。「女型の巨人」は、腕を刀のような形状に変化できるのかも。こんなのに勝てるのかよ……。

すべては生かすため

「女型の巨人」が巨人の体からエレンを取り出す場面は、最初に読んだ時には「肉をかみ切ってエレンを食った」ようにしか見えなかった。

ところが読み返してみると、「優しく巨人を『脱がせて』、エレンを守るために口の中へ入れた」と分かります。なんとも なまめかしくてエロティックに感じました(ごくり……)。彼を生かすための慈愛すら感じる。

そうエロスとは、「生」であり「性」であり「愛」のことでもあります。

「エレンを食われた」と認識した時のミカサも、なんだか色っぽくてゾクッとする。すくなくとも巻末に載っている「没表紙案」の彼女よりは、64 倍くらい色気を感じました。

「化け物」は何匹?

「女型の巨人」に襲いかかるミカサは、まるで鬼神のようで──巨人よりも恐ろしかった。

──いや彼女の場合は、我が子を隠されて怒り狂う鬼子母神のほうが近いかな。ミカサは、エレンのことを友人や恋人ではなく、「所有物」のように感じているからです。

ところがリヴァイ兵士長の動きはミカサ以上で、疾風迅雷そのものでした。彼の戦闘力を見ると、頼り強さよりも、別のことを考えてしまいます。つまりは──。

「調査兵団特別作戦班」の班員たちとリヴァイ・ミカサが協力すれば、立体機動を存分に生かせる森に入った時点で「女型」を行動不能に できたのでは? これまた結果論だけれど……。

「女型の巨人」の正体は?

第 6 巻の途中までは、クリスタ・レンズが「女型の巨人」を操っているのでは──と思わせる描写に引っかかりました。わざわざ「女型」が消えた方向から、女神のようなクリスタが現れている。

第 7 巻では、冒頭からクリスタがハッキリと描かれています。そもそも第 6 巻の後半にも彼女は樹木の上に描かれていたし、時系列の入れ替えによるトリックでも ありません──よね。

クリスタはシロでしょう。女神だし(だまされてる)。

じつは、ネットで検索して見つけた「女型の巨人」と仲間の解釈が、じつに納得がいく意見でした。いったん そう思うと、まるで反論が思い浮かばない。

しかしアマノジャクな自分としては、突拍子もない予想を書きたくなります。ということで──。

ズバリ! エレンの お母さんが「女型の巨人」です!

エレンに対する優しさが「女型」には見えるから、一瞬アリかと思わせて──、立体機動を使いこなす身体能力はムリが ありますよね。お母さん、がんばりすぎ! あるいは、それも巨人の力を借りているとか?

不平よりも突き刺さるモノ

キラキラした目でエレンたちの帰還を──「英雄の 凱旋」を見守る子どもの目は、とても残酷な光に見えました。同じように無邪気な顔をして、虫をバラバラに解体したりするのかな……。

ペトラの父親は、リヴァイが もっとも会いたくなかった人物です。森の中に置いてきたペトロのことを──巨人たちのオモチャにされるか獣や虫の腹に収まる娘のことを、彼に何と話せば良いのだろう。

エレンやリヴァイにとっては、調査兵団に対する不満の声よりも、期待に満ちた目のほうが何十倍も つらい。

多くの犠牲を出しながらも明日への光が見えてきた第 6 巻の終わりとは逆に、第 7 巻の最後は何もかもが絶望にしか感じられません。

エルヴィンとリヴァイの保護下にあるから、まだエレンは「人間」として扱われてきました。しかし、彼らから引き離されたら──、エレンは「生きて」いけるのだろうか……。

それでもエレンは、「くやしくて泣く」ことができる。それは人間として生きている証拠です。そして それは、「女型の巨人」の中にいる人物にも当てはまる──。