『バクマン。』 75 ページ 「新居と新連載」 (週刊少年ジャンプ 2010 年 13 号)
あ、そうそう、忘れてた。
「第一回チキチキ・今週号の『バクマン。』を読んで、誰もが思いつきそうで、バカバカしすぎて誰も言わないこと」──のコーナ(長い)です。
──今回は、「新妻」が 2 人出ている。
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あ、そうそう、忘れてた。
「第一回チキチキ・今週号の『バクマン。』を読んで、誰もが思いつきそうで、バカバカしすぎて誰も言わないこと」──のコーナ(長い)です。
──今回は、「新妻」が 2 人出ている。
知らないうちに「付き合っていた」と思ったら、一方的に昔の男扱いをされる──という場面がありました。
──これって、どこかで聞いたことがあるような話ですね。たとえば、『HUNTER×HUNTER』のパームとゴンとの間柄とか(たとえが具体的すぎる)。
ワレワレが住む現実世界でも、こういった「自分の知らないうちに恋人と思われていた」なんてことは、よくあるのでしょうかね? 創作の世界だけの話なのでは。
残念ながら、自分の人生では、そういった経験はありませんでした。実際、そんな状況になっても、うれしくないなぁ……。「好きだ! つき合ってください!」→「はい or いいえ」というシンプルな恋愛が好きです。恋に駆け引きは、いらぬ。
読者側は「○○先生(の作品)が好きだから、一生ついていく!」という気持ちで作品を読むことが多いですよね。
ところが、作家側は「固定のファンを大事にする」という考え方はすくないのでは。すくなくともサイコーとシュージンは、そんなことを意識しているようには見られない。編集部の中でも、年齢層だけで読者を見ているようです。
(シュージンはともかく)サイコーは「ジャンプで人気のマンガを描いてアニメ化を狙う」のだから、一番読者が多い層に向けて描いたほうが良い気がします。──いや、『ONE PIECE』『BLEACH』『NARUTO』が好きそうな年代(中高生?)は激戦区なので、それよりも子どもの層を狙ったのは、正解かもしれませんね。
今週号は急展開の連続です。誰もがビックリするようなデキゴトが、最低でも 2 つはありました。
とくに 2 つ目──ラストのコマは衝撃的です。これってもしかして、例の「権限」をエイジが発動する予告なのでは? いや、そんなハズはないと思うケド……。
おっと、ついにヘリウムガスの話が出ましたか! コミックスのみを読んでいる人は、「セルフライナーノーツ」を読んでいただくとして……。
さすがに単行本では 1 ページ目が描き換えられていましたね。でも、「ヘリウムガスを吸う」という部分は変えてこなかったのは、グーです! ここでヘンに「あたりさわりなく風船をふくらませるだけ」だったり、「この話自体を削除」したりしたら、面白くも何ともありません。
「マンガには罪はない」なんて言うつもりはありませんし、マンガの影響力は大きいでしょう。『SKET DANCE』くらい面白いマンガであれば、なおさらです。
──でもね、もしもマンガのマネをしてケガをしたり、アブナイ目にあったら、それは──おバカさんというものでしょう。昔のオカンみたいに、悪さをしたらビンタを食らうような教育を受けていたら、そんなにムチャはしない。すくなくとも、オレはしなかった。
とうとう、『SKET DANCE』は 100 話を達成しました! そのワリには平常運転で、ある意味では安心です。ずっとこのノリで突っ走って欲しいですね。
そう、このマンガは、「ずっと変わらない」ことが一つのテーマになっている、と思う。
戦闘シーン(やエロい描写)で「花が散る」という表現があります。これって、花にそれなりの意味(花言葉など)を持たせて、描かれているのでしょうか? 花に詳しい人からすると、「ここでこの花を出すのはヒドイ!」ということがありそう。
たとえ詳しくないジャンルでも、作家は詳しく描かないと、ヒドい目にあうことがあります。世界一腕の立つ殺し屋
さんとか……。
自分の場合はカメラが大好きなので、「状況にあったカメラの選択と持ち方」をしていないと、かなり違和感がありますね。
たとえば、「一眼カメラの両脇を包むように握る」なんて、カメラ好きにはあり得ない! 普通、左手はレンズの下に来ます。左手でカメラの重みを支えるのですね。──まぁ、天下のジャンプで、そんなカメラの持ち方をする主人公なんて、載るわけないですケド。
(ヒント: 今週号からの新連載)
今週こそは──と思い続けて、はや何週間でしょうか……。
何のことかというと、「亜城木夢叶の復活」ですよ。2 人でマンガに情熱を燃やしていた、あの熱い日よ、もう一度!
人物の精神状態や状況を、激しく緩急を付けて描くのが『バクマン。』の特徴です。そして、展開の速いこと速いこと……! それなのに、サイコーとシュージンがノンビリしている期間が、あまりにも長いのです。
ひょっとして、このままずっと、亜城木の 2 人は沈んだままなのでしょうか……?
なんだかんだいって、『ラッコ 11 号』は順調に続いていますね。
自分の中では、『ラッコ』のモチーフとなった作品は、『ボボボーボ・ボーボボ』だと思っています。『ボーボボ』は一時期ものすごく好きでした。ちょうど、『DEATH NOTE』とコラボレーションをしていたころです。その『ボーボボ』も、後半はヒドイ印象しか残っていない……。
『ラッコ』のアニメ化は喜ばしいことですが、だんだんとグダグダになっていかないか、心配です。すべては、吉田氏の「アメとムチ」がカギを握っている……。
シュージンがスランプのようです。──というか、彼は「絶好調で面白いアイデアがスルスル出てくる!」という状態を見たことがないような……。このあたりは、作者自身の姿をイメージしているのかも。
高校生のころは、それこそ毎日のように、シュージンは新しく話を作っていました。それなら、学生時代のほうがシュージンの才能があふれていた──とは言い切れません。
聞いた話によると、子どもが英語を早く覚える理由は、知っている日本語の範囲がせまいから──だそうですよ。オトナになるほど、自分が使える日本語の単語や表現が増える。だから、それらを英語に置き換えることが難しいそうです。
同じように、いまのシュージンは、作る話のレベルが上がってきたから、なかなかよい話が思いつかないのでしょう。