『バクマン。』 150 ページ 「我儘と贔屓」 (週刊少年ジャンプ 2011 年 44 号)
佐々木編集長が亜城木夢叶に謝っていて、かなり驚きました! こんな日が来るなんて……。謝られた 2 人のほうが、ムチャしてきたんですけどね。
いつでも自分は正しい。誰でも そう思っている。
人間は誰でも、自分のことを正しいと思っています。たとえ「あの時の自分は どうかしていた」とあとから気がつくことはあっても、その時点では間違っていると思わない。
──それでも、過去を振り返って、自分でも悪いと思うことがあれば、素直に態度を改めることが肝心です。「謝って済む問題」であれば、誠意を持って わびればいい。そうでなければ、何か手段を考える。
もしも、他人に頭を下げたら自分の価値が下がる──と思っている人は、完全に間違いです。その考えが どこから来たのか、意味があるのか、一度ゆっくりと振り返る価値はありますよ。
謝ろうと 思ってたん です
佐々木編集長が頭を下げる姿なんて、服部も初めて見たでしょうね。そしておそらく──、このような場面が描かれるのは、今回が最初で最後になるのでは?
ただ、佐々木は集英社を去るわけでは ありません。亜城木たちが打合せに行く時に、廊下で すれ違うかもしれない。なぜか気まずかったりして。
学生たちも同じです。仲の良かった友だちでも、クラスや学年が変わると、かなり疎遠になってしまう。──サラッと書いたけれど、「違う学年」になったら、そりゃ気まずい。
社会に出ても状況は変わりません。たまたま同じ会社で働いていたり、近くに住んでいた──というだけの関係が増えてきます。
そういった人間同士の つながりを、割り切って受け入れることが「社会」であり、「大人」になるということでしょうね。
君達だけ じゃない
「福田組」のメンバが背景に描かれています。これは完全に「イメージ映像」ですが、べつに「編集長が思い描いている人物像」ではないですよね。できれば、佐々木が持っている印象を見たかった。
このイメージのなかでは、平丸の視線が気になる。どうも、岩瀬の方向を見ている感じです。心変わりの季節なのか……?
編集長の立場にいるから、特定の作家にヒイキできない。つらいところです。
一方、瓶子副編集長は、ハッキリと「亜城木派」と言っていました。サイコーとシュージンの肩を持つような行動までしています。編集長・副編集長という役職の違いよりは、「キャラ」の違いでしょうかね。
バクマン。 #79-1 「わがままとアドバイス」 担当と 2 人の才能 | 亜細亜ノ蛾
新妻くんには 特にライバル 意識を
実際に現在の亜城木夢叶は、新妻エイジよりも上位を取ることが多い。ただし、それは『PCP』と『+NATURAL』を比べた場合です。『CROW』の人気には、とても届きません。
佐々木編集長が期待しているのは、全盛期の『CROW』を上回るほど、亜城木が実力で人気を勝ち取ることでしょう。サイコー・シュージンも、同じことを考えているに違いない。
エイジの次回作が始まった時に、戦いが始まる──。
エイジが ついに 新作を
急展開が日常茶飯事の本作品にしては、新妻エイジが次に描く作品は なかなか出てこなかった。それが、ようやく動き始めましたね!
以前に、次のような予想をしました。
「宇宙を舞台にして、(おもに)地球人が活躍する壮大なバトル・マンガ」という『ドラゴンボール』的な作品が、エイジの次回作なのでは──と想像しました。
エイジの言う超カッコイイ ダークヒーロー
と『ドラゴンボール』では大違い! また外れたか!(なぜかニッコリしながら)
──と思ったけれど、ベジータやフリーザ・セルなど、『ドラゴンボール』は悪役も格好良かったですよね! 彼ら悪役を主人公にしたサイド・ストーリィを描いて欲しかった。──正直に言えば、いまから十数年前の鳥山明先生に……。
『バクマン。』全体の流れが、すでにエイジの新作が中心になっています。こうなると、『+NATURAL』が中途半端な存在に思えてくる。エイジにとっての「足かせ」──に すらなっていない。
エイジ本人には その気はないのでしょうが、「おこづかい稼ぎ」で気軽に連載している──ようにも見えてしまいます。
ここで、岩瀬の復活劇を もう一度見せて欲しい!
シュージンに認められたい一心で岩瀬は、小説の世界を捨ててマンガ業界に やってきました。その はかない野望は、もう意味が なくなったのでしょうか──。
そう言えば、自分の得意な恋愛マンガで連載をもう一つ持ちたい──と岩瀬は話していましたね。その野心から考えても、すでに『+NATURAL』は見限っている。
岩瀬は、1 作で終わるような作家ではない──と信じています。もう『+NATURAL』は終わらせて、べつの作画担当者を見つけて、シュージンもエイジも見返すような次回作を発表したほうが良いでしょう。
作家の人生は、いつでも次へ次へ──。