『魔法少女まどか☆マギカ』 (PUELLA MAGI MADOKA MAGICA)
最後の 2 話は、劇場版の品質だと断言できます。一足先にブルーレイ版を観たような感じでした。はたして、当初の予定でこれが完成できていたのか──と疑問に思うほどです。
今回の話が放送される直前に、いまわしい地震が起こり、放送が 1 か月ほど延期されました。「テレビ・アニメーションと震災に、何の関連があるのか」と思ったのですが──、たしかに、これはムリだ!
日本中が「不謹慎ムード」に包まれていた中で、この内容を放送したら、不名誉な形で祭り上げられたでしょうね。
正直なところ──、前回を見終わったあとで、「これで終わっても良かったのでは」と思っていました。もう十分すぎるくらいに面白いし、話として まとまっている。
──でも、それは違う。
全 12 話を合わせて 1 つの作品であることが、いまでは分かります。最後の 2 話はとても悲しくて・つらくて・切ないけれど、それでもやっぱり観て良かった。
『まど☆マギ』を世に送り出してくれた すべての人に、この作品と巡りあえた幸運に、感謝します。
「あー、面白かった!」とこのまま終わっても良いけれど、長々とした感想をどうぞ──。
第 11 話 「最後に残った道しるべ」
残酷な謝礼
暁美ほむらのことを、キュゥべえは時間遡行者
などと呼ぶ。しかし、時間を旅行することは、彼女の目的ではなく手段です。鹿目まどかを救うことができれば、それで良い。
たった 1 人の親友である まどかのために、ほむらが どれほどの苦労してきたのか──。それを前回では タップリと悲劇的に描かれました。今回はさらに、どん底へと突き落とす。
お手柄だよ
──というキュゥべえの言葉は、どんなに するどい刃物よりも、ほむらを傷つけた。大事な人のために自分が やってきたことを、すべて否定されたら、どんなに悲しいだろう……。
キュゥべえには感情がない──とされているけれど、けっこう人間の感情を理解できていますよね。そのせいで、より一層ひどい存在に見えてしまう。
彼の文明では、感情という現象は極めて まれな精神疾患でしかなかった
。つまりは、感情という名前の病気を わずらう個体も存在したはずです。キュゥべえ自身も、その病気にかかれば良かったのに。
食う側と食われる側
キュゥべえが人類のことを家畜
と たとえた時には、「とうとう言ったか!」と思いましたね。あの場面で、このエイリアンに対して ますます嫌悪感が増した人も多いでしょう。ネットでも非難 Go! Go! です(?)。
しかし──、キュゥべえを吊るし上げるのなら、佐倉杏子も一緒に責めるべきだと思う。彼女は、人間と魔法少女・魔女との食物連鎖
について、より具体的に語っていました。キュゥべえはシステムを説明するために例を挙げただけです。
- 佐倉杏子:
- 「あんた、卵産む前のニワトリ締めてどうすんのさ?」
- 「食物連鎖って知ってる? 学校で習ったよねぇ?」
- 「弱い人間を魔女が食う、その魔女を あたしたちが食う。──これが当たり前のルールでしょう? そういう強さの順番なんだから」
『魔法少女まどか☆マギカ』 第 5 話
それなのに、杏子のことを追及する人は、なぜか見たことがありません。彼女も被害者だから──というには、あまりにも納得ずくでシステムを受け入れている。
もちろん、杏子は魔法少女のルールを承知しなければ、家族も救えないし自分自身も生きていけません。多くの他人を見殺しにして生きていくことは、自分も含めて誰もが やっていることです。
自分が言いたいことは、「杏子も責めろ」ではありません。キュゥべえの言うことも理解した上で、「自分の考えを持つべき」です。あまりにも「キュゥべえ嫌い・杏子は かわいい」という人が多すぎる。
キュゥべえのことを嫌うことは当然だし、共感する必要はありませんが、彼のことを分かろうとする努力は必要だと思う。それが、この作品と原作者に対する誠実な態度ではないでしょうか。
さよなら、さやか
美樹さやかの葬式は、衝撃でしたね……。本来であれば「ひとりの人間として葬られた」ことを喜ぶべきなのかもしれませんが、とてもそうは思えない。
彼女の亡きがらは、杏子が泊まっていたホテルで発見されたはずです。「行方不明の少女が借りた部屋に遺体があった」のだから、さすがに日本の優秀な警察が「家出のあげくに、衰弱死
」では終わらせないでしょう。事実を伏せて捜査中なのかも。
教師の早乙女和子は、ほとんど「お笑いキャラ」でした。恋愛のことで一喜一憂(「憂」が多め)するという、平和の象徴でもあります。その和子が真剣に話している姿を見ると、事の深刻さが身にしみる……。
魔女と火薬
何度も何度も今回の戦闘シーンを観ました。文句なしに格好良かったですね! 戦っている──というか ほむらが兵器を操っている時間は ごくごく短いのに、ずっと記憶に残る名場面です。
ワルプルギスの夜が登場する場面も、この上なくヘンテコで素晴らしい。第 1 話の冒頭にあった「幕開き」な演出は、物語全体の始まりを告げるだけではなく、この魔女のためだったのか。
魔女が登場する時に、地面からビルが生えてくるような描写があります。これは、たんなる演出なのか、それとも魔女が舞台を生み出しているのか──。
ほむらが言うには、ワルプルギスの夜は結界に隠れて身を守る必要なんてない
とのこと。それくらい強いというだけではなく、人間たちが暮らす現実の世界そのものを結界化するのかもしれません。
用意周到に軍備を調達した ほむらですが──、もしも予測した地点とは違う場所に魔女が現われたら、どうしたのだろう?
──その答えは、すぐに見当がつきました。
魔女が出現すると思われる範囲のすべてで攻撃ができるように、ほむらは武器を設置したに違いない。何度でも やり直せるとはいえ、一刻も早く まどかを完全に助けたい彼女は、手抜かりなく準備をしたはずです。
学校では優等生の少女が、戦争の準備をたんたんと進めていた──。なんとも異常で悲しい状況だけれど、言葉にすると なぜか笑えてしまう。「のんきに走り高跳びをしている場合じゃないぞ!」と思ったり。
避難所にて
テレビ放送時に今回の話が延期された理由の 1 つは、避難所のせいでしょうね。なんというか、「そのまま」だもんなぁ……。連日のようにテレビで報道されたような映像です。
物わかりの悪い自分は、「──え? なんでこんな時にキャンプへ行くの !?」と初見の時に思ってしまいました。幼い子どものために父親が言ったことを、真に受けてしまったわけです。この微笑ましいセリフも、時期が時期なら「不謹慎」と取られそう。
家族たちとまどかが避難している方向へ、魔女は向かって行きます。これは、たんなる気まぐれや偶然だったのでしょうか。まどかの「因果」に引き寄せられた──のかもしれませんね。
少女が謝った理由とは
人間は誰でも、自分のことを正しいと思っています。たとえ「あの時の自分は どうかしていた」とあとから気がつくことはあっても、その時点では間違っていると思わない。
「台風」が近づく中、詢子が まどかを外へ出したことは、他人の目から見れば間違いです。自分も、止めるべきだったと思う。
──そんなことを言っていたら、話が成り立たなくなる。でも、たとえば、魔法少女や家畜の映像を見せたキュゥべえの洗脳能力を使えば、詢子を気絶させることはできたはず。
謝りながらも正しいと信じる、まどかの判断とは──。
おわりに
最後は、どちらとも取れる終わり方でした。8 割くらいは「まどかが魔法少女になる」と思うけれど、もっと想像も付かない展開になりそうな気がする。できれば、1 週間くらいは悩みたかったな。
この作品をこれから観る人が、心の底から うらやましい! ネット上に散見する心ない批判やネタバレに気をつけて、最後まで楽しんで欲しいです。