暗殺教室 第 40 話 「指名の時間」 信は報酬より起こる

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暗殺教室』 第 40 話 「指名の時間」

Emerson CQC7 "B" Blade
報酬と服従の──諸刃の剣

鷹岡 明の狂気が最高潮に達しました!
「暴力で他人を支配する」という点では『HUNTER×HUNTER』の「王」などラスボスと同じですが、鷹岡の場合は「教育方針」と言い切る点が小憎たらしい!

いろんな著名人で「理論武装したデ■」が思い浮かぶ。
彼らに向けて、鷹岡への怒りを爆発させた読者が八つ当たりをしないか心配だなー(「絶対に押すなよ」では ありまs)。

信頼と刃で結ばれた 2 人

潮田 渚烏間 惟臣好きだと告白しました!
──読者に向けてだし、意味が違うけれど。

烏間が渡す「(ナイフ)」信頼して手に取ったり口に くわえたりやります」という渚は、妙に「(意味深)」ですね!
渚君 やる気は あるか?」のコマなんて、「どうぞコラ(切り貼り)してください」と言わんばかりの構図ですよ!
腰チラの潮田は体つきが女性にしか見えないけれど、「ジャンプ」掲載時のアオリ文には「渚、起つ(たつ)」(どこが!?)なんて書いてあって、女の子なのかガールなのか、どっちなんだ!

潮田 渚の謎

渚の怪物性は、第 1 話で すでに示されています。

暗殺教室 第 1 話 「暗殺の時間」 燃えにも萌えにも触手を伸ばす松井優征! | 亜細亜ノ蛾

あの時の殺せんせーは「見事に隙を 突かれました」と潮田に「○(丸)」をあげている。
簡単に描いているけれど──、狙撃手が撃ったライフルの弾八つ橋で止めるような化け物に対して、殺傷を目的として首に手をかけられた人物は、いまだに潮田 渚 1 人だけです。
泣き虫の寺坂(「な、泣いてねーし!」)が考えた作戦も含めて、あの第 1 話が一番 殺せんせーの命に迫っていました。
「まだ先生の設定が固まっていなかった」というメタな話を置いておくと、渚がクラスで一番の実力を隠し持っている可能性は十分に考えられます。そこに気づいて、赤羽カルマも仲良くしているのかな。

暗殺教室 第 18 話 「赤の時間」 朱に交わらず青くなる | 亜細亜ノ蛾

プロとして

当たり前の 中学生活を 保障する事──。
その報酬の 1 つとして、烏間は生徒たちとの接触を避けているの かもしれません。授業とは無関係な部分で、必要以上に影響を与えないように。

烏間の本性は、根っからの軍人戦い好きだと思う。
今は3-E の体育を指導しているけれど、それは あくまでも「上からの命令」であり「任務」だからです。
本当は、(軍──じゃなかった)自衛隊の隊員をビシバシしごいたり、(戦場──もとい)現場へ派遣されることを烏間は望んでいそう。「人間を殺す 訓練も用意も していない」とサラッと言っていることが証拠です。

(ふと思ったけれど、自分と同じように烏間も「夜な夜な『戦争ごっこゲーム』でヒャッハー!」して欲求不満を解消しているのかも!?)

教育方針の違い?

鷹岡は、生徒への教育論の一環だと言う。
この体罰を殺せんせーが認めたことは残念でした。
さらには、「殺せんせーに危害を加えてない人物」にも攻撃しないことを公式に納得させらている。
これでは読者も「鷹岡が正しい」と思ってしまう。

ただし、鷹岡に約束したと言うよりも、生徒に筋が 通らないことを優先させたところが殺せんせーらしい。同じ体育教師である烏間から、鷹岡を否定させる点も立派でした。
おそらく殺せんせーには、鷹岡の件すら利用して教師としての烏間を鍛える目的が あるのでは? ほかにも彼なりの考えがあって、鷹岡をひとまず放置したのでしょう。 ──ボケ担当のイリーナ・イェラビッチとは違って


また、渚の殺気に対して、烏間は過剰に攻撃している。
似たようなことは、これまでの授業でも何度か あったでしょう。鷹岡は その事実を知らないけれど、殺せんせーに確認すれば正直に話すはずです。
こういう「予防線」が張ってあるから、「殺せんせーが鷹岡をすぐに退場させないことは不自然だ」と言いにくい。
単純に「ワルモノ」を出して「正義の味方(主人公側)」の引き立て役にするだけの作品が多いなかで、『暗殺教室』は話の構成が見事です!

暗殺教室 第 38 話 「訓練の時間」 烏が鷹うらやむ | 亜細亜ノ蛾

実証された方法

鷹岡は、格闘家の師匠に近い方法論を取っています。
格闘技の道場に入門したての初心者を相手にして、指導者は強烈な一撃を食らわせて「とても敵わない」と思わせる。その いわば「トラウマ」は心と体に残り続けて、たとえ入門者が上達しても、ずっと師匠には勝てない──と聞きました。
実際には「師匠越え」の話をいくらでも聞きますが、一種の宗■的な「奇跡」の話として興味深い。

おわりに

今回の題名は「信は荘厳より起こる」から取りました。
元の意味は「とりあえず形から入る」みたいな感じで、熱心な信心を持っている人には否定されそうな成句です。
現代風に言うと「クール・ジャパンは萌えから始まる」かな(?)。