タイトルだけは
自分の中では「タイトルだけは有名なミステリィ」の代表と思っている(失礼)本作を、ようやく読みました。
表題作を含む8作品が収められた一冊です。どの作品も、語り部は《わたし》でワトソン役、探偵役はニッキイ・ウェルト教授、といえば判りやすいでしょうか。
表題作
やはり何と言っても表題作『九マイルは遠すぎる』が面白い。《わたし》が、ふと頭に浮かんだ
「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」
──というセリフからニッキイが推論を広げていき、最後にはある犯罪を暴く、というストーリィです。ミステリィファンなら、一度は聞いたことがあるのでは?
一作にかける時間
この単行本に収められた『序文』も一見の価値ありです。それによると、『九マイルは遠すぎる』は「構想14年、執筆1日」(!)とのこと。しかも、書き上げたときには推敲の必要がほとんど無かったそうです。
──そういえば、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』にも同じようなエピソードがあることを思い出しました。あの名作も、作者の心の隅にあったアイデアを、長期間寝かせておいたそうです。
『アルジャーノン』のエピソードは『心の鏡』の序文に書いてあり、少なからず感動したのですが──『心の鏡』に『アルジャーノンに花束を』の原点あり : 亜細亜ノ蛾で書き忘れていた! あっさりスルーしてるし!
デスノートっぽい?
作者は「古典的推理小説は本質的に短篇であると感じていた」そうで、長編小説には懐疑的なようです。実際、『九マイルは遠すぎる』は単行本サイズでわずか20ページ足らずの話です。その他の作品も、同じような長さ。TVドラマでいえば、一時間の尺では少々あまり気味、30分ではギリギリ足りない感じ。
しかし、一作一作がボリューム多めに感じました。背景の描写よりもニッキイの推論にページを割き、全体的に人物のセリフが多い。
ページ数は少ない割に話のボリュームが多い──マンガでいえば『デスノート』のような作品ですね。探偵役が推論──「推し量る」よりも「押し付ける」ところも似ています。
実際、ニッキイの推論はほとんど妄想といってもいいくらいです。よくよく読むと、「ニッキイの推理によって実際に事件が解決した」という描写は、実はほとんど無いような。
──まぁ、ニッキイは《探偵》ではないので、全く問題はないのですが。