森山大道
昔から写真が好きな自分だが、写真家の名前はろくに覚えてこなかった。「この写真、なんか、いいな」と思っても、誰が撮ったのかは覚える気がない。
自分が森山大道さんの名前を知ったのは、つい最近だ。写真は見ていたかもしれない。
ウェブ上で彼の写真を何枚か見たが、どうもピンと来なかった。なぜ、彼が評価されているのか、分からない。
森山大道は、過大評価されているのではないか?
モヤモヤとした感情のまま過ごすのは、心に良くない。そこで、彼の写真集を買ってみる。
「携帯サイズ」とか「文庫本」などと紹介されているが、届いた本は──凶器になりそうな分厚さであった。京極夏彦と互角に渡り合える。
──そうか、森山大道の写真は、連作になって初めて生きてくるのだな、と理解した。
写真集で何枚も彼の写真を見つづけていると、「安心感のある、居心地の悪さ」を感じる。見ていて愉快な気持ちになる写真ではないが、不思議に落ち着く。なんだろう、この気持ちは──。
写真集を見る行為
大道さんの写真を見る行為は、「大道の目になる」ことである。写真集を見るということは、「森山大道になって街をさまよい歩くこと」なのだ。
街中で急にカメラを向けられて、いい気分になる人は いない。著名な写真家に撮られるからといって、いやがる人のほうが多いはずだ。さすがに大道さんは相手から気付かれずに撮るだろうが、なんとなく写真からは警戒心を感じる。
いや、違うのか。写真を見ている自分のほうが「撮られていることに気付かない人を見る」という行為に後ろめたさを感じているだけだ。最近になって自分もスナップショットを撮るようになったので、そのときの緊張感が痛いほど分かる。
先ほど感じた居心地の悪さは、この後ろめたさだった。いや、べつに、見てはいけない写真は どこにも載っていない──だから安心して見られる。それに、手慣れたスナップ写真のため、安定感もあるのだ。
動く大道
写真集が届くまでの間に、大道さんの情報を集めていた。そして、そのときに見つけた動画に圧倒される。
YouTube に「NHK ETV 特集 – 犬の記憶~森山大道・写真への旅~」の動画がある(2009-05-08 現在)ので、ぜひ見て欲しい。
見ているほうがハラハラするくらい、じつに自然体でカメラを構えている。堂々としているのだが、通行人に対する態度は謙虚だ。だから、誰も不快感がない。──それは、彼の生きる姿そのものだ。
まったく森山大道については詳しくないが、写真機を持った彼を見ると、見習いたくなる。背筋が伸びる思いだ。
「大道風」
──などと言いながら、やっぱり彼の写真スタイルを手軽にマネたくなるのも人情である。
ちまた(どこ?)には、森山大道をマネた写真が多い。ほとんどの場合、カメラに付属のフィルタ機能や Photoshop などで、「コントラストを高く・ノイズを多く」した画像ばかりだ。
そんな写真には、致命的な欠陥がある。
銀塩写真の現像をよくご存じの方には、簡単なフィルタの処理で作った画像には違和感があるはずだ。
自分もすこし前に「なんちゃって大道」な写真を Flickr へ載せた。いま見ると、恥ずかしい。
さて、その違和感とは──?
森山大道の写真を見れば分かるとおり、ハイライト(ハイエストライト)とシャドウの部分には、ノイズなど乗っていない。白く飛ぶか、黒くつぶれるか、である。単純なフィルタ処理を行なうと、真っ白から真っ黒まで、均一にノイズが乗るだけなのだ。
白や黒を生かしたまま、中間部へノイズを乗せるためには、工夫が必要である。
あまり教えたくないが、ものすごく貴重な情報を載せたページを紹介しよう。銀塩写真風のノイズの乗せ方と、ソフトフィルタのかけ方が、かなり参考になった。これから多用する。
PHOTO SHOP裏技講座 ≪ GALLERY ≪ Puu’s Gallery
さて、その成果は、このページの一番上に載せた画像だ。自分のパソコン上ではウマく行ったが、Flickr へアップロードすると縮小される。結果、粒状感も何もなくなった……。