『目薬αで殺菌します』 森博嗣 – 事件よりも大事な恋心とパソコン

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『目薬αで殺菌します』 森博嗣・著

Sony's full-frame Alpha 900 with Zeiss 24-70 F2.8
(自分の目にも欲しい──「α」)

《G シリーズ》の 7 作目は、タイトルがギリシャ文字から始まらない、初めての作品です。そのことに意味があるのか、と思って読んでみると──分かりませんでした。次回作以降で明らかになる、のかな……。

今回は、加部谷恵美(かべや めぐみ)のキャラクタが、ググッと前に出てきた感じです。いままでは、西之園萌絵(にしのその もえ)のうしろに埋もれていた印象だったりする(ヒドイ)。

海月及介(くらげ きゅうすけ)や山吹早月(やまぶき さつき)は、というと──逆に、どんどんと物語から離れていくように感じましたね。犀川創平(さいかわ そうへい)なんて、探偵役どころか神の領域に近づいている……。

あと、《G シリーズ》の「G」とは何か、ちょっとした思い付きを最後に書きました。我ながら、面白いと思う。

読みにくい文章?

「まあ、俗っぽくいえば……、愛されたい」

「愛されたい?」(……)「誰に、ですか?」

目薬αで殺菌します』 p.198

正直なところ、《G》の中では一番、印象が薄い一作でした。同じことを思った読者が多いのか、森博嗣さんのサイトにある「ミステリィ制作部」を見ると、『α』だけが初版のみの発行です。

浮遊工作室 (ミステリィ制作部)

この事実を知って、「大丈夫か、森先生ェ・・・……」とか思ってしまいました。同じことを心配した読者もいるのでは?

でもそれは、「キアヌ・リーブスってみすぼらしい格好をしているけど、食べて行けてるのかな……」と気遣うようなモノです。

心配しなくても、われわれの何十倍・何百倍・それ以上──彼らは稼いでいる。

本当に心配するべきなのは、自分の将来ですね……。

そういえば、いままでの《G シリーズ》作品は、章の中にある節(番号)が変わっても、あまり場所や人物が変化しませんでした。『α』から急に、場面がコロコロと変わります。

それが《G》から入った読者(ラノベ好きが多い、と推測)には、読みにくいのかも。

でも、《V シリーズ》なんて、段落ごとにギュンギュン視点が変わったりしますからね。それくらい、慣れてください。愛があれば、できるはず。

のどかな風景

薄曇りの空は、ぼんやりと薄いブルーと白。まるでエアブラシで描いたような斑な背景。注目したら、神様の手抜き、に見えたかもしれない。

目薬αで殺菌します』 p.15

男女 4 人のエエ若いモンが、川辺でバーベキューをする。そんなノンビリとした場面が、「プロローグ」で書かれています。殺人事件や事故に巻き込まれがちな彼らにしては、じつに大学生らしいシーンですね。

それなのに、血なまぐさい話題ばかり。

この場面では、『ソイレント・グリーン』という映画について語られています。ほか作品のタイトルが出てくるなんて、森作品ではかなり珍しいですね(初めて?)。それに、その映画のことを、登場人物があまり評価していないし……。

並の作家だったら、「あまりにも面白くなかったのでネガティブ・キャンペーンとして書いた」──となるでしょう。でも、森先生はそんなこと言わない、はず。

言えない言葉

くそう! どうして、言えないんだ?

言葉だけじゃないか。

言葉だけだからだよ。

目薬αで殺菌します』 p.245

とうとう、加部谷と海月が急接近! な場面が出てきます。なんだかドキドキしますね。身内の「ホレタハレタ話」を、こっそりと盗み見ているような感じもする。

その結末は──アレですけれど。

うーん、海月は、どこへ行こうとしているのでしょうかね。物理的な話(だけ)ではなくて、彼の心が見えてこない。

ときどき、優しさが見えるところがまた、罪作りな海月です。いや、彼は基本的に、他人に優しい。優しすぎるから──逆に人を(おもに加部谷を)傷つける。

保呂草潤平(ほろくさ じゅんぺい)みたいに、何も言わずに消えたほうが、傷が浅くて済むのかも。そうでもない?

見慣れたトリック?

「有名な格言にもあるでしょう。物事はすべて簡単ではない。ノーワン・イズ・シンプル」

「聞いたことないですけど……」

目薬αで殺菌します』 p.140

上で書いたように『α』の印象が薄かったのは、この作品の一番のトリックがカンタンだったからです。

そのトリックは、「エピローグ」でアッサリと語られていますが──、「プロローグ」の時点で分かってしまった。なぜだろう? 客観的に読み直すと、とくに「プロローグ」の時点では気づかないはずですよね。

たぶん、森作品を読み慣れすぎてしまった、ということでしょうか。「彼の作品なら、こういう仕掛けがあるのでは」と思って読む。すると──何かが見えたり見えなかったり(どっちだ)。

それよりも、だんだんと、事件よりもその外側のほうを描くシリーズである──ということが表面化してきたのでしょうね。

せっかく誕生した美少女酩酊探偵も、活躍の場が少なくなるのかも。

肝心の《G》とは?

「ああ、そうか、αっていうのも、ギリシャ文字なんだ」(……)

「一番目ですよ。だから、アルファベットっていうわけです」

「次がベータ?」

「そうです」

目薬αで殺菌します』 p.95

ある夜、寝る前に思いつきました。

そもそも、《犀川 & 萌絵シリーズ》・《紅子シリーズ》・《四季 4 章作》と人名シリーズが続いたあとに、なぜ《G シリーズ》は「Greek の G」と言われているのか──。

なぜここでギリシャ文字が出てくる? ギリシャ人ならまだしも。

ところが、Wikipedia でも「要出典」と書かれているとおり、この Greek 説は、作者の公式見解ではありません。

Gシリーズ (小説) – Wikipedia

仮に、この「G」が人名だとすると──、ある人物が思い浮かびます。

その人物は、『すベてがFになる』と『有限と微小のパン』・そしてもう一つの作品の中で──、

真賀田四季のすぐ近くにいました

言いがかりに近いような単なる思い付きが、なんだか真実味を帯びてきたように思いませんか? ある意味では、(本文中の記述上で)四季にもっとも近い人物と言えるでしょう。

ただ──、「G」が彼女だとして、それが何を意味するのかは、分かりません。

ちょっと妄想してみると──、ひょっとして、「G」もまた四季と並ぶくらいの天才ではないか、と。

そうなると、とあるマンションで四季が「楽しい演技」をしている時に、じつは「G」もカマトトぶっていたのでは……。四季から見た視点でマンションでの一件が、『四季 冬』で描かれました。それがまた、「G」視点で描き直されたりして。

いちおう、オチ的に言っておきますが──、「G」と言っても、夏によく見る「あの G」(カサ……カサ……)のことではないですよ!

でもそう言えば、儀同世津子(ぎどう せつこ)って、《S&M》はもちろんのこと、《V》でも何度か出てきたのに、《G》ではまったく出てきませんよね。アヤシイ……。

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