『バクマン。』 103 ページ 「無駄と挑戦」 (週刊少年ジャンプ 2010 年 44 号)
今回の話は熱かった……!
なにしろ、血液がシャーベットでできているとウワサの(※オレ調べ)サイコーが、人に向かってどなっているのです。
いままでも「闘志むき出し」といったサイコーは見てきましたけれど、そのほとんどは、自分自身に対して気合を入れる意味が込められていました。今回は完全に他人へ怒りを向けている。
でもその怒り方が自分勝手ではなく、「真城先生」という感じで良かった。サイコーもオトナになってきた、ということですね。
決まってない から
はしゃぎすぎの折原に注意をするシュージンは、ちょっとだけ恐かった。しかも、本来であれば折原だけではなく、白鳥に対して言うことです。サイコーに気を遣って慎重になっているのに、無神経に騒ぐからイラついた──のでしょうか。
このページで、折原は公式のウザキャラになりましたね……。元気なことは良いけれど、すこし、やかましい。ただ、自分は、森屋よりは折原が好きです。
最近の森屋はヒドイ。このところ何度も何度もショックを受けている森屋ですが、彼が落ち込むべき状況は、自分のネームを服部にボツにされたあの時だけです。それ以降は、たんに白鳥をねたんでいるだけ。
同じ志を持っている仲間が成功へ向かい始めているのに、どうして落ち込むのか。落ち込むヒマがあったら、ネームを描けばいいのに。自分の中で、森屋の株が大暴落です。
まわりの人間が「『恋太 & ピース』を連載に持っていく」ことを信じて疑わない中、シュージンは初めからずっと「『PCP』が優先
」と思って白鳥に協力してきました。この場面で、シュージンが服部に念を押すのは当然ですね。
読者(自分)からすると、「でも、シュージンが丸め込まれちゃうんだろうな……」と思いながら読むのだけれど。
原稿は OK
服部が『恋太』の連載を推すのは目に見えていましたけれど、サイコーまでプッシュしてくるとは、シュージンも意外に思ったでしょうね。自分も違和感があった。
このあたりの展開で気になるのは、白鳥の態度です。そもそも『恋太』は、白鳥が話を考えて、シュージンが手直しするところから始まった。それがいつの間にか、ストーリィはシュージンに丸投げしている。
いまでは、「シュージンが原作を書くまでは、『恋太』は連載できない」となっています。もちろん、シュージンと並ぶくらいの話を書くのは、いまの白鳥ではムリでしょう。でも、白鳥が挑戦は するべき
だと思います。
新妻エイジは 天才だって…
シュージンが原作者として成長することを、サイコーが素直に嬉しい
と言う場面は、ホッとしました。ヒネくれた考え方にならず、良かったです。
サイコーに比べると、白鳥は急にイジイジしだして情けなかった。女性化するのは良いけれど、メソメソするのはダメだ!
あと、上で書いたことと重なりますが、読み切りは白鳥の作った話をシュージンがふくらませただけでした。それを連載では、シュージンがほぼすべての話を書くことになるはず。白鳥はそれを「自分の作品」として気持ちよく描けるのだろうか?
──上記のことは、作画を志望する人の中でも引っかかってくるでしょうね。たとえば、『バクマン。』や『美味しんぼ』・『孤独のグルメ』といった素晴らしいマンガは、「誰の作品」なのか……。
どっちなんだ?
煮え切らない態度の白鳥に向かって、感情のままに叫ぶサイコーです。これほど熱を持った言葉を他人に対して発するサイコーは、かなり珍しい。
このページを読んだ時点では、白鳥がウジウジしているので活を入れた、と見えました。あまりにも白鳥がナヨナヨしすぎているので、ちょっと気分がよかったですね。良くも悪くも、白鳥の言動はまわりの人を引き込みすぎる。
何を迷うこと あるんだ…
白鳥の情けなさにサイコーは怒ったのではありません。このページで熱く語った内容を、サイコーは伝えたかった。今まで自分たちが苦労してきたから、みすみすチャンスを逃そうとする白鳥を見て、ガマンができなかったのでしょうね。
「ジャンプ」で連載をとるためには、時代に合った
才能が必要、と服部は言う。ここには、マンガ業界のある種の残酷さが含まれています。いくら絵が上手だったり話が作れたりしても、時代とズレていては売れない。
才能の話が出てくると、あらためて新妻エイジのすごさが分かります。彼は、違う時代に産まれていたとしても、おそらく、人気のマンガ家となっていたはず。平丸は──吉田と巡り会えるかどうかがカギだと思う。
さて自分は、挑戦──しているかなぁ……。