『パッセンジャーズ』 (Passengers)
全体に流れるふんいきが、とにかく不気味な映画です。
こうやって書くと良くない評価のようですが、この独特の空気はぜひとも味わって欲しい。良くできた作品なのです。そしてできれば、最後の「オチ」だけに注目しないようにしてほしい。
ストーリィは、まるでミステリィです。
──女性セラピストのクレア・サマーズ(アン・ハサウェイ)は、飛行機の墜落事故で奇跡的に生還した 5 名の心理カウンセリングを受け持つことになった。しかし、生存者たちの証言はかみ合わず、1 名は異常なまでに躁状態だ。そして、次々におかしな事態が起こり──。
墜落事故の背景には、どうも航空会社の闇がありそうに思える。しかし、確証が持てない。そして、いかにも「事故の真相を解き明かしていく話」のようなのに、事故とは無関係な部分が不気味なのです。
生き残ったひとり──エリック・クラーク(パトリック・ウィルソン)という男は、事故の直後からやたらと陽気で、しきりにクレアを口説く。理由をつけてクレアの自宅まで来たり、予知めいた発言をしたりする。なんともアヤシイ!
そして、それこそ事故と関係しようがない「親切な隣のおばさん」──トニ(ダイアン・ウィースト)は、親密すぎて不気味なのです。憎めない人だけれど、どこか恐ろしい。
航空会社のアーキン(デヴィッド・モース)は当初から態度が不自然で、事件のもみ消し工作を行っているように思える。疑いだしたら、クレアの同僚であるペリー(アンドレ・ブラウアー)ですら、信頼して良いかどうか分からなくなる。
この映画は、何を描こうとしているのだろうか?
ここまでの文章からは想像ができないと思いますけれど、『パッセンジャーズ』はひと言で言うと「恋愛映画」です。ここが一番ビックリする点かもしれない。
なぜ、この異常な気配が漂う中で、クレアは恋に落ちていくのか──。見ていて違和感を覚えます。しかし、じつはその違和感こそが計算された演出だと最後に分かり、感動しました。
どうしても強烈な「オチ」に目が行きますが、オチを支えている「不気味で不自然なふんいき」が見事な作品です。
恋人同士か、あるいは──「終わりそうな恋」を背負っている人・家族と疎遠な人に観て欲しいですね。
クレアがまじ天使!
──と、なんだか感動を誘うような文を書いてきましたが、この映画は、「アン・ハサウェイかわいい!」という気持ちだけで観ても、充分にお釣りが来ます(ええー)。それくらい、彼女は美しかった。
アン・ハサウェイが演じるクレアは、博士号を 2 つも持っているドクタです。アンは外見からも知性がほとばしっていて、ピッタリのはまり役ですね!
クレアはなぜか、実際に患者と接することは避けてきました。そのためか、墜落事故の生存者たちと接する態度がぎこちない。しまいには、患者のひとり・シャノン(クレア・デュヴァル)からは不注意な発言を指摘されてしまう。
このクレアを演じるアンの演技が最高です!
自分は吹き替え版で観ました(聴きました)が、セラピィの場面でのクレアは、「たどたどしい」としか言いようがない。ほかの人の発言とかぶさったり、何度も口ごもったり、ため息をついたりする。聴く人によっては、いらいらするでしょう。
また、エリックと一緒にいる時のクレアからは、別の面が見られます。エリックは、グループでのセラピィに加わろうとしない『SAW』──もとい「躁」男で、スキがあれば「好き」であることをクレアにアピールする。
この不気味な男が近くにいると、クレアは今にも壊れて(壊されて)しまいそう。カウンセリングが必要なのは、クレアのほうではないか──と思えるほどです。見ていて痛々しく感じる。
その弱々しい演技が素晴らしい!
最近は、映画でもマンガでも「強い女」を見る機会が多いです。男も顔負けの戦闘能力を誇ったり、気が強かったり、男を利用したりする。
または、めそめそ泣いてばかりいる女性が、「女らしい」人物として描写されたりもします。どちらか、両極端が多いですね。
彼女たちと比べると、クレアは強がっているわけでもなく、涙を見せるわけでもない。姉とはケンカをして連絡がつかないため、グチを言う相手も味方もすくない中で、クレアはよくがんばっています。
クレアは、必死になって「生きている」。
ようきな男
エリックは気味が悪い男です!
彼を演じたパトリック・ウィルソンは、Wikipedia によれば舞台俳優だったらしい。なるほど、やや過剰な演技は、同じく舞台俳優でもある 藤原竜也さんのようです。
パトリックの好演によって、エリックは黒い輝きを持った男として光っている。彼は、「陽気」というよりは「妖気」な感じがしますね。この作品を観ている時に、何度「犯人はお前だッ!(?)」と思ったことか……。
クレアに姉妹がいることや彼女の好みを、エリックが知っていたのではないかと疑われる場面が出てきます。その結果、エリックは、事故によって超感覚(超能力)に目覚めた可能性まで語られる。
おいおい、せっかく良い意味で「ヘンな空気」を味わう映画なのに、超能力オチかよ──といったん思わせておいて、あとで打ち消す手口が面白い。
そして──、だまされる!
ここはどこ?
さて、物語の最後に、事故の真相を含めてすべてが解き明かされます。
この結末を見て、ブルース・ウィリス主演の「あの映画」(※クリックするとタイトルのネタバレ)と同じだ──と思った人はいませんか? 自分には、まるで違う描き方だと思いました。
「あの映画」のほうは、「特定の人にしか見えない存在」をわれわれが住む世界に違和感なく存在させる──という一点に集中したトリックが使われています。それが映画のすべてではないけれど、かなり力を入れている。
『パッセンジャーズ』のほうは、おそらく映画に出てきた世界──施設や家・人物すべてが、こことは違う世界なのだと思います。なんというか、「旅立ちの準備を整えるための世界」という感じでしょうか。
あるいは、この世界の話でも構いません。
小説だったら、いくらでも「あの映画」の手法が使えます。一方、すべて映像で見せなくてはならない映画では、話の整合性にこだわりすぎると窮屈になる。その結果、けっきょく「あの映画」と同じになってしまいます。
『パッセンジャーズ』はオチにこだわりすぎることもなく、記憶違いや幻覚などに頼らず、真っ正面から主人公たちの不安を描ききりました。そこに大きな拍手を送ります。
蛇足
性懲りもなく、今回もまた、タイトルはゲーテの言葉(空はどこに行っても青いということを知るために、世界をまわって見る必要はない。
)を借りました。
この記事のタイトルは皮肉です。
ゲーテの意図とは逆に、『パッセンジャーズ』のクレアは、航空機事故の真相を探ることよりも、自分がいま見ている空は本当にいままで見てきた空なのか──と世界を疑うことが重要でした。我ながら、よくできた題名だと自画自賛。
さらに蛇足を書いておくと──、冒頭の画像につけた文章は、英語のシャレです。airplane(air + plane) と plain ですね。写真も見方によっては、この映画にピッタリ! 我ながら、(以下略)