バーン・アフター・リーディング – 恋人の欠点は美点──と思いたい

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『バーン・アフター・リーディング』 (Burn After Reading)

[serie] La musique s'enflamme 2/4
(「焼いた CD」の取り扱いには──ご注意を)

最高に面白いコメディ映画でした!

『バーン──』には、とにかくヘンテコな性格の人たちが出てきます。しかし、ふざけた演技はしていない。奇妙な人たちが、マジメに生きているから面白いのです。

ゆかいな彼らを紹介しましょう:

上の説明で「好き」と書いてあるところは、「マニア」や「バカ」と読み替えて構いません。他人からみればドーデモイーことに、人生のすべてを賭けようとしている。そこに笑いが生まれるのです。


ブラッド・ピットの演技には、とくに注目ですね! こんなにおバカな彼は、見たことがない! 『ファイト・クラブ』や『セブン』のシリアスな彼とは大違いです。

『オーシャンズ』シリーズでブラッド・ピットとコンビを組んでいるジョージ・クルーニーも、まったく違う表情を見せている。『バーン』では、下品なトークで盛り上げてくれます。

残念ながらこの 2 人は、本作品では一瞬しか共演していません。お見逃しなく!(おそらく、見逃しようがないと思うケド)

全体的にノンキなふんいきの作品だけれど、後半の展開は誰にも読めない。「ある事件」をきっかけにして、だんだんと世界が壊れていく感じです。

まさか、この映画がこんな終わり方をするとは……。

コメディとは

「コメディ映画」と聞いて、「風変わりな格好をした人たちが、奇妙な話し方や動きをする」ような映像を想像した人もいるでしょう。日本で有名なコメディアンたちの笑った顔が思い浮かぶ──。

──それは、「コント」と呼ばれるモノです。

この映画を含めて、海外のコメディはマジメに作られている。登場人物たちは、ヘンに笑いながら話したりしない。衣装も口調も普通だし、ストーリィだけ聞くと堅い映画に思えたりします。

観客に「笑われる」か「笑わせる」かの違い。


わが日本には、「落語」という文化がある。これがまさに、観客を「笑わせる芸」です。

名人と呼ばれる落語家たちは、「えー、毎度ばかばかしいお話を──」とあいさつをしたあと、まったく笑わない。自分で自身の話に笑うような人は、二流・三流です。

「漫才」も、客に「笑われる芸」から「笑わせる芸」へ変わってきた──と以前に聞きましたが、最近はどうなのでしょうかね? いつも作り笑顔をしている芸能人しか、自分は知りません。

巻き込む女・巻き込まれる男

最初、リンダ・リツキは好きになれなかった。

なにしろ、彼女が「加齢によって、いかに肉体が劣化しているか」を強調するシーンから始まります。アカデミー主演女優賞を獲った女優が、よーやるわ! と思った。

続いて、リンダが「ずうずうしい女である」ことを示すエピソードが、次から次へと出てくる。楽しい人だとは思うけれど、深くは接したくない感じ。


筋肉男のチャドも、リンダのせいで不幸になっていく。

彼は本当にイイ男で、リンダのために(自転車で)走り回っている。自分のカノジョでもないのに、よくここまで尽くせるな、と思う。チャドにとってリンダは、母親か姉の代わりなのかも。

お似合いの 2 人

そんなリンダが、後半では様変わりします!

「黙っていればダンディ」である(そう言えば高田純次さんみたいな)ハリーと出会ったあとのリンダは、だんだんと美しくなっていく。笑顔がチャーミングです。


正直なところ、出会い系サイトを通してリンダに会ったハリーは、初めて彼女を見た時に──ガッカリすると思いました(失礼)。

なぜなら、ハリーの奥さまはキレイだし、不倫相手のケイティも(怒っていなければ)魅力的だからです。容姿だけで判断するならば、(前半の)リンダと付き合うとは思えなかった。

ところが、ハリーとリンダは、話がバッチリ合うのです。2 人ともよく笑うし、楽しそうに食べるし、「夜のほう」も相性がピッタリ。これは意外でしたね。

最初からリンダと出会っていれば、ハリーの人生は大きく変わったでしょう。


オズボーンとケイティは、ある意味ではお似合いの夫婦です。2 人とも、すぐに怒る。何が楽しくて生きているのか、どうして結婚しているのか、よく分からない。

他人の家庭を外から見ると、たいてい不思議だけれど。

激流の後半戦

物語の後半には、本当に驚かされた。

その衝撃を味わって欲しいために、ここでは深く書きません。まぁ、「驚きの展開がある!」とか「じつはサスペンス映画」などお言うだけでネタバレですけれど、それでも『バーン』の展開は予見できないはずです。


この作品は、変わっていますが「恋愛ドラマ」と言っても良いでしょう。登場する男女たちが演じる恋愛バトルに、最後まで「生き残る」のは誰だ……?

余談

フランシス・マクドーマンドについて調べてみると、何と! 感動のラヴ・ストーリィである(?)大好きな『ダークマン』で、主人公の恋人役を演じていました! まったく覚えていないので、また観てみよう。

参考: フランシス・マクドーマンド – Wikipedia


タイトルは例のごとく、ゲーテから借りました。

ゲーテ – 恋人の欠点を美徳と思えないようなものは恋しているとはいえない

原文はどうなのか知りませんが、欠点を美徳と思うのは、言葉が飛躍している気がします。語呂も悪いし。「欠点を美点と思」うほうが、日本語としてスッキリする。

「ゲーテに文句を言うなんて!」と怒られそうですが、ゲーテは、墓の下に眠っている人々を羨まなければならないとは、何という情けない時代だろうとも言っています。だから、これでいいのだ!

訳し方の違いなのか、べつの名言なのか、出だし以外は同じ「愛人の欠点を──」という言葉も残っています。日本語だと「恋人・愛人」は大きく違いますよね。

ハリーとリンダは、恋人なのか愛人なのか微妙なので、この名言はピッタリだと思う。