『バクマン。』 コミックス 2 巻 「チョコと赤マル」
コミックス 1 巻の発売から、はや 2 か月。2 巻が発売された。
この巻では、新妻エイジ・服部哲(あきら)・佐々木編集長が初登場する。
──あと、ほんのオマケ的に、服部雄二郎とかなんとかいう ただのアフロが出ている可能性もある(この扱いの差は──愛の差だ)。
Reviewer: あじもす @asiamoth,
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コミックス 1 巻の発売から、はや 2 か月。2 巻が発売された。
この巻では、新妻エイジ・服部哲(あきら)・佐々木編集長が初登場する。
──あと、ほんのオマケ的に、服部雄二郎とかなんとかいう ただのアフロが出ている可能性もある(この扱いの差は──愛の差だ)。
Reviewer: あじもす @asiamoth,
「透明探偵」について考えてみる。
探偵が透明になれるメリットは何か。事件を解決するための証拠集めに役立つだろう。容疑者の独り言や行動が丸わかりだ。
しかし、それを証拠として警察や裁判所に持っていくための工夫が必要である。「あ、オレ、透明になれるんです」では通らないだろう。──デスノートの使用者を法で裁ける世界があるのだから、透明探偵の発言も認められるかもしれないが。
透明になる条件はあるのか、それも気になる。『DEATH NOTE』も、あれだけルールを厳密にしていたからこそ面白かった。あの作品を読んだシュージンが、「いつでもどこでも透明になれる探偵」を創作するはずがない。透明になるための複雑な条件があるのだろう。──あるいは、「衣服は透過しない」というだけでも、よく考えたらツラいな。冬場とか。
(ここで、全裸で透明になっているときに「心拍数が上がる──というか、ある器官に一定以上の血流が送られると透明化が解ける」などというルールを考えたが、下品なので却下する)
でも……まぁ……透明になれると言えば、『Oh!透明人間』のような展開しか思い浮かばない(子どものころは、どうもお世話になりました!>作者さん)。自分のことだから、絶対にバレないような状況を整えた上で、誰にも気が付かれない・迷惑にならないように、すこしだけイイ思いをさせてもらう──と思う。その具体的な方法は、想像にお任せする。
みなさんは、透明になれたら悪用しませんか?(罪悪感をおすそ分け)
──いやいや、ちょっと待て! もしかして透明探偵って──女性という可能性もあるのでは?(ゴクリ……)
どうですか>マガ■ンあたりで柳の下(第二の赤松)を狙っている作家さん
いまほどマンガのキャラクタを うらやましく感じたことはない。34 年と半年ほど生きてきて、強くそう思う。
自分は、一度でも縁遠くなった人と再び仲良くなる──といった経験がない。引っ越しや就職で離れると、もう「さようなら」だ。別に、会いに行こうと思えば会えるし、連絡は取れるはずである(オンナノコは除く……)。
でも、なぜか、もう一度会おうとは思えない。
そうやって、どんどんと自分から交友範囲を狭くしていく──。
それに比べると、サイコーやシュージンたちは、非常にウマく接している。自分にはキセキにすら見えるのだ。
まぁ、「成功するまで会えない恋人(仮)」という関係を築ける人は、めったにいないと思うが……。
あと、「成功したらセイコウ」とか「亜豆とサイコーがセイコウ」とか、100 万回言われていると思う。絶賛発売中の『バクマン。 2 (2) (ジャンプコミックス)』にそんなことは書いていないので、注意が必要である(何のだ)。
「『バクマン。 2 (2) (ジャンプコミックス)』の発売日だというのに、Amazon ではまだ書影(表紙の写真)が掲載されていない。なんということだ。せっかく「どう見てもガモウひろしです。本当に(ry」というネームが載っているのに、宣伝しにくいではないか。ぶつぶつ……」
──という大きな独り言は置いておいて。
以前から不思議に思っていることがある。なぜ、服部もシュージンも、そしてサイコーも「高校をやめる」ことは考えないのだろう。義務教育は終わっているのだから、無理に高校に行かなくても良いではないか。あと、新妻エイジの高校生生活も、ちょっと想像ができない……。
週刊少年ジャンプという「少年誌」でやっているマンガだから、という理由のほかに、サイコーとシュージンが高校に通う意味は あるのだろうか。
自分は「家から近いから」という理由で工業高校へ通っていた。理由だけは流川楓と同じだが、ルックスも才能もなかった自分には、ひたすら無意味な三年間だった。在学中から「卒業証書が欲しいから通っている」と公言していたし、実際にその通りだった。いまでも「最低でも高卒ではないと職がない」というくらいのメリットしか感じていない。
サイコーやシュージン・マンガに出てくる高校生のように、何か強烈にやりたいことがあれば、自分なら高校なんて行っていなかった。──いまになってこんなことを言うのは簡単だが……。
服部の活躍が 2 週に渡って見られるとは、なんという幸せだろう。後半では、さらに面白い展開になる──のだが、感想は、しばしお待ちを……。
2009/03/04(水)には『バクマン。 2 (2) (ジャンプコミックス)』が発売される。それまでに今週号の感想を書き上げるのは無理だ(と、さりげなく宣伝)。
先週号の感想では、「服部の、良い意味でのあくどさが見られた。」と書こうとした。しかし、一般的には、「あくどい」を「良い意味」で使うことはないだろう。辞書で調べても、良い面は見つからない。
(ちなみに、あらゆる辞書サイトを使ってきたが、「Yahoo!辞書」は類語辞書まで検索してくれるのが良い。語彙の少ない自分は、かなり勉強になる)
自分は、悪い人間・あくどいヤツが好きだ。ただし、センスや頭が悪い人間・犯罪者は除く。この条件に合いさえすれば、人をだますような人間も好きである。
──ここで、「人をだますのは、詐欺罪じゃないか」という意見もあるだろう。そう、「人をだまして罪になる人間」は論外だ。人をだますなら──相手がだまされたことに気が付かないようにするべきである。金もうけでも、恋愛でも……。
同様に、他人に気を配らずに我を通す態度・ルールから少しだけはみ出す行為・ずるがしこさは、ある程度は生きていく上で必要になる。正直者が馬鹿を見るのは世の常だ。
──それでも、一生、馬鹿正直に生きられたら、この上なくステキだが……。
(by Mike Licht, NotionsCapital.com)
「26 ページ」の後半は、服部の素晴らしさを再確認する もう、服部が主人公で良いのではないか、とも思う。
服部は手足がすらっと長く伸びたモデル体形で、「住人が数字で呼ばれる巨大掲示板」で愛されているあのキャラにそっくりだ。
愛嬌(あいきょう)があるその顔は、日本人なら誰でも知っている男に似ている。じつになじみ深い愛され顔である。
それより何より、その男気あふれる行動が素晴らしい!
草食とか肉食とか、何だか分からないカテゴライズが流行しているようだが、ようするに「(女性全般ではなく)ワタシをどう扱ってくれるのか」ということだろう。それはそれで大事だが、もっと服部のように「人の気持ちを理解しつつ仕事ができる男」に注目してはいかがか。
長くマンガを読んでいると、いろんな読み方ができるようになるものだ。普通は読み飛ばすような場面に注目したり、派手な戦闘シーンよりも地味な会話が好きになったりする。
今週号の河原で 2 人が話す場面は、その地味さがよかった。昔だったら 0.2 秒でページをめくっていたと思う。いつの間にか、描かれていない行間(コマ間)や人物の心理まで読むようになってきた。
将来のことを話す 2 人の会話と表情からは、語られない本当の気持ちが読み取れる。これは望ましい結果ではない、と。それ以外にも、あまり大っぴらに話したくないような、良くない感情も見えてしまう。
マンガは「サイコーは○○と思った」といちいち描けない。ほぼすべてを絵で表現しなければならないのだ。ときどき、小説を読むよりも深い洞察力を要求されたりする。マンガと小説のどちらが優れているか──などという議論には興味はないので悪しからず……。
「それが物語というものの成り立ちだ──大きな転換。意外な展開。幸福は一種類しかないが、不幸は人それぞれに千差万別だ。(……)幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。」
『海辺のカフカ』 (上) (新潮文庫) p.334
──あれ? 今日は『海辺のカフカ』の感想ではなかったか。しまった(わざとらしい笑顔で)。
『海辺のカフカ』 村上春樹 – 運命に操られる少年と受け入れる青年 : 亜細亜ノ蛾
今週号の『バクマン。』は、とても幸福とは言えない展開が起こる。サイコーとシュージンがマンガ家を目指して以来、一番のツラいできごとだ。
苦難の道に立たされたときの行動で、その人の真価が決まる。失敗を成功に変えるのは、時の運だけではなく、人の力によるところが大きい。
しかし──前半部分を読む限り、「亜城木夢叶」がこれから成功に向かうとは思えない。完全に終わったように見える。2 人は どうなってしまうのか?
サイコーはいつも強い意志で真っすぐ前を見て進んできた──と思っていたのだが、見方によっては流されているようにも見える。ふと、そう思ってしまった。
子どものころにマンガ家になりたかったのは、サイコーの意志だ。川口たろうの影響は大きいが、「おじさん」はサイコーにマンガ家への道を勧めなかった。
しかし、ふたたびマンガ家を目指したのは、シュージンの誘いからだ。亜豆との付き合いで「会わない」と決めたのは、亜豆である。さらに、描くマンガの内容をシュージンや服部が決め、エイジの影響で原点に帰ってきた。
それに、サイコーのおじいちゃん(と父親?)の意向で初めからサイコーはマンガ家になる道しかなかった、とも取れる。そうでないなら、何のために川口たろうの仕事場をそのまま残したのだろうか。
ただ、これは意地の悪い意見だ。それを言い出すと、ほとんどの人が他人の影響で人生を決められている。自分もそうだ。親と環境が違えば、違う人生を歩んでいただろう。
ある程度は周りに決められた枠組みの中で、サイコーは必死に自分の信じる道を行く。その道には、シュージンも一緒についてくるのだろうか──。
女性からウットリと見つめられた──そういった経験があるだろうか。覚えのある方は退出いただくとして──(半分は冗談)。
そのような経験が自分にはない。「一般的な成人男性」には普通にあることなのだろうか? そもそも、自分が女性と付き合ったのはハタチを大きく超えてからだ。中高生時代には当たり前に経験しているべきナントカをいくつも通り過ごしてきた。いまになって、少し惜しい気持ちがある。
しかし──ああ言えばあのコに好かれたとか、あの時の選択しだいではモテたとか、そんなターニングポイントはなかったように思う。つまりは、自分が自分であるがゆえに、そこまで女の子に好かれなかったのでは、と。
人から好かれるために必要なモノを生まれつき持っている人がいる。そして、そういう人しか本当の意味ではモテないと思う。ファッション指南のブログ記事を読みあさったり、「脱オタ」を目指したりすることは良いが、そうした努力で解決できない領域がある。
これは、「休日に草野球を楽しむオトーサンも、努力さえすればイチローやノモを超えられる──のか?」という話と同じに思うのだ。
別に、努力が悪いとも無駄とも言っていない。ただ、こざっぱりした格好を志したり、ファッションを勉強したり、あるいはモテるために努力すること──そのものを楽しめないのなら、そこまで労力や時間を費やすのはどうか、と思う。
あ、いま唐突に、「わざわざ努力してモテようとする」姿勢のどこに自分が違和感や嫌悪感を感じているのか、ようやく分かった。
あんまり熱心に見ていなかったが、自分は『101回目のプロポーズ』みたいな話が好きなのだ。抽象すると、1 人の女性に対してどこまでも深い愛情を注ぐ男の話である。このような精神が「モテたい」という発言にはない。
そもそも、「モテたい」という発想には、いろんな枕詞が付く。「誰でもいいから」とか、「俺を好きになってくれる女の子に」とか、「できれば胸が豊かだったり ひかえめだったり、おとなしかったり積極的だったり大胆すぎたり○学生だったりする、20 人くらいの同居人から」とか──。そういった自分勝手で無責任な態度では、トラックの前に飛び出して叫ぶ勇気も出てこない(そろそろ通じなくなっているだろうな、この名場面)。
ということで、シュージンのようにマンガのネームを描いたからモテる──と勘違いせぬよう……(それを言うために原稿用紙 2 枚分以上の文章を書いた)。