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『世にも美しい日本語入門』 恋愛の前に日本語を学ぶ

『世にも美しい日本語入門』

『世にも美しい日本語入門』は、『世にも美しい数学入門 』の続編というか、姉妹書のような一冊です。

藤原正彦(ふじわらまさひこ)さんが、彼の小学校時代の恩師である安野光雅(あんのみつまさ)と対談し、日本語の美しさについて語っています。

数学者と画家が日本語について語る、ということが少し意外な気もします。しかし、二人が惹かれる「美」というものの根底には文学がある、とのこと。

冒頭から、

美しい日本語に触れないと、美しく繊細な情緒が育たない。恋愛さえままならない。文学に一切触れず、「好き」と「大好き」くらいの語彙しかない人間は、ケダモノの恋しかできそうもない。

『世にも美しい日本語入門』 p.11

──と、ドッキリするような事が書いてあります。厳しさを感じるのですが、そこにあるのはただ、美しさへの誘いだけ。逆に読めば、文学に触れて繊細な情緒を育て、豊かな恋愛を楽しみましょう、と。

それにはやはり、古典や古語、文語体に触れるのが良いそうです。この本で紹介されている古典、たとえば森鴎外の『即興詩人』を読みたくなりました。

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『残像に口紅を』 消えていく、おもいで

『残像に口紅を』

これは凄まじい一冊です。筒井康隆氏の、あまりにも有名な作品なのでご存じの方も多いと思いますが、

「現代人なら言語や記号にさえ感情移入できるようでなければならない」(p.16)

という主張の元に書かれた、「言語そのもの」に感情移入させる小説です。

全 66 章で、1 章ごとに世界から「音(おん)」が1音ずつ消えていく。それと同時に、その音が含まれた対象も存在が消える。小説の中で使える文字も段々と減っていくので、最後のほうは(いつものように)ドタバタとしていきます。

たとえば、第 1 章で「あ」が消えているので、自分(asiamoth)は真っ先に消えているわけです(笑) 「あんパン」や「蟻」、「アイスコーヒー」も当然消えているでしょう。

それでは「あなた」や「愛」はどうなるのか。その疑問は本書の 2 章で説明されているので、そちらをどうぞ。

主人公の佐治勝夫(さじかつお)氏は小説家で、明らかに筒井康隆氏本人です。彼の生い立ちを語る場面は必見ですよ。Wikipedia にも出てこない、生々しい父母の話です。

筒井康隆 – Wikipedia

とにかく、このことを思いつき、一冊の小説として書き上げた、というだけで素晴らしい!

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『ZOKU』 正義と悪戯、それより恋愛?

『ZOKU』

「正義と悪」というのはありがちな、作家にとっては書きやすい構図です。

しかし、最近の風潮では「悪になったのには事情がある」とか「絶対的な正義、完全な悪などいない」という方向で、リアリティを出している作品が増えていますよね。(だからこそ今週の『ネウロ』は面白かったなー、というのはまた別の話)

さて、森博嗣氏が「正義と悪」という、ありがチックなテーマにどう挑むのか、というと、なんと、

「正義と悪戯(いたずら)」

という、何とも笑える状況を創り出してしまいました。

『ZOKU』は森作品の中でも、ライトノベルに近い、かなり読みやすい一冊です。「森ミステリィからミステリィを引いた感じ」でしょうか(答えは森、という意味ではない)。

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『レキシントンの幽霊』 強く余韻を残す 8 つの不思議な話

『レキシントンの幽霊』

『レキシントンの幽霊』は、村上春樹氏の短編小説集です。

そういえば彼の短編を読むのは久しぶり(糸井重里氏との共著『夢で会いましょう』くらい)だな、と思って調べると、なんと、長編より短編の方が多いくらいでビックリ。──ああ、よかった。これからも村上作品がこんなにも読めるのか!

村上春樹 – Wikipedia

不思議な話が 8 作品収録されています。短編というと、オチに向かって一直線に進んでいく作品が多いですが、本作品集では、はっきりとした終わり方をしていない作品が多いです。

それに、小説向きではないというか、なんでもない話があったりします。

しかし、なんでもない話のはずなのに読ませる、読み終わった後になかなか気持ちの切り替えができない、そんな魔力を持った作品集でした。

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『文学部唯野教授』 異形の物が棲む大学と謎のヒロイン

『文学部唯野教授』

これは凄まじい一冊です。

タイトル通り、大学教授の唯野(ただの)が主人公。彼が大学に内緒で小説を書いていることや、親友が海外出張費を不正に使用したことが、後になって問題になってくる。大学内の利権争いや、いくつかの事件が絡み合い、最後は(いつものように)ドタバタに──。

というのが大きなあらすじですが、何といっても、話の合間に挿入される「文芸批評論」の講義が圧巻。

唯野が講義を進めて行く場面が、何ページにもわたって書かれています。小説自体が全部で 9 章あり、講義の数も 9 つ。全部通して読むと、批評論についてよくわかる、気がします。

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『ほぼ日刊イトイ新聞の本』 ネット社会の必読書

『ほぼ日刊イトイ新聞の本』

これは面白い! 初版は 2001 年の刊行で、その後に加筆して 2004 年に刊行された文庫版を読みました。

糸井重里さんが、(埋蔵金の発掘をしながら)「ほぼ日」をなぜ始めたのか? という話から、ようやく軌道に乗り始めたあたり(2001 年)まで、そして文庫版で加筆された 2004 年では最近の「ほぼ日」について語られています。

ほぼ日刊イトイ新聞ほぼ日刊イトイ新聞

「ほぼ日」の面白いエピソードだけではなく、ビジネスの話、人生の話、遊びの話など、この本からいくらでも拾えるものがあります。

なにしろ日本語の達人が書いた本なので、ものすごく読みやすい。糸井さんの文章は、簡単な言葉でわかりやすく、深い話を書くのが特徴。この本も、全く難しい言葉は書いてないのに、ものすごい情報量を吸収できました。

糸井重里 – Wikipedia

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『七つの怖い扉』 井戸から消えない死体

2ch には良くできた創作が、いわゆる「コピペ」として出回っています。可愛い AA(アスキーアート)もいいですが、ちょっと背筋が寒くなるような、怖いコピペが好きです。

中でもお気に入りが、これ。

ある日、泣き声がしゃくに障ったので妹を殺した、死体は井戸に捨てた

次の日見に行くと死体は消えていた

5年後、些細なけんかで友達を殺した、死体は井戸に捨てた

次の日見に行くと死体は消えていた

10年後、酔った勢いで孕ませてしまった女を殺した、死体は井戸に捨てた

次の日見に行くと死体は消えていた

15年後、嫌な上司を殺した、死体は井戸に捨てた

次の日見に行くと死体は消えていた

20年後、介護が必要になった母が邪魔なので殺した、死体は井戸に捨てた

次の日見に行くと死体は消えていなかった

次の日も、次の日も死体はそのままだった

これは「オチ」の一行が無いバージョンで、初めて見たときに「なぜ?」を考えるのが恐ろしかった。その後、最後の一行があるバージョンを見て、「なぁんだ」と思いました。やはりこれは、上記のままで終わっている方が美しい。

『七つの怖い扉』

つい最近、このコピペの元ネタがあることを知りました。阿刀田 高氏の『迷路』という短篇です。

さっそく、収録されている本を探し、『七つの怖い扉』を読みました。タイトル通り、七人の作家が書いた、七つの短篇が載っています。

photo

七つの怖い扉 (新潮文庫)
阿刀田 高 高橋 克彦 小池 真理子
新潮社 2001-12
Yahoo! ショッピング: 七つの怖い扉ad
楽天ブックス: 七つの怖い扉

ゆがんだ闇 七つの危険な真実 記憶の隠れ家 翠迷宮 堪忍箱

by G-Tools , 2007/07/18

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『土を喰う日々』 畑と相談し、リスを見る日々

『土を喰う日々』

『土を喰う日々』を読みました。『美味しんぼ』ファンにはおなじみの一冊で、山岡 士郎が日本で一冊だけ読むに値する、と言っていた本ですね。

あらすじ – 美味しんぼ塾ストーリーブログ: 第33巻

著者の水上 勉(みずかみ つとむ)氏はすでに故人だったのですね、知りませんでした……。

水上勉 – Wikipedia

本書は、軽井沢に住む著者が「畑と相談して」、日々の食事を工夫する様子を書きつづった一冊です。

裏表紙や後書きで「クッキング・ブック」と紹介していますが、レシピはほとんど出てきません。子供時代に禅寺で暮らした著者だけあって、食というものの考え方が深く語られています。

「梅干の生命は人のそれより長い」

感慨深かったのが、梅干しの話です。

著者の家には大正十三年に漬けた梅干し(!)がいくつかあったそうで、「五十三年も生きていた梅干しに、泣いた(p.106)」そうです。しかし、そのことをフィクションと取った読者から(わざわざ)電話がかかってきた、という話がちょっと悲しい。

自分の漬けた梅干しを「作品」と呼び、梅干しが入った瓶を眺め、「これらのぼくの作品がぼくの死後も生きて、誰かの口に入ることを想像するから(p.110)」嬉しいという著者の姿を思い浮かべると、梅干しというものを見る目が変わってきます。自分も、梅干しが好きなので、漬けてみようかな……。

リスの夫婦

作家のところには、話になる動物がやってくるようです。

庭にやってくるリスの夫婦の話が面白い。別に飼っているわけではないので、すべて著者の主観ですが、短篇が一作かけそうな出来事がありました。続きは Web で、ではなく、ぜひ本でどうぞ。


『もの食う人びと』 辺見 庸氏、飽食の国から飛び出す

『もの食う人びと』

日本が飽食の国と言われるようになったのは、いつからでしょうか?

──と、朝食べたドーナツ風パン(売れ残りのため 5 個で 100 円の安売り)を思い出しながら、何となく考えるのでした。自分が幼い頃(1970 年代)は、ひもじい思いをすることが多かったです。三食の内、一食が「レタスだけ」だったり。──あ、それって自分の家が貧乏だっただけか……。

しかし、そんな自分の貧しかった時代なんかより、もっと餓えている人々が世の中にはたくさんいることを、『もの食う人びと』で改めて知りました。この本は、著者が世界中を周り、体当たりで知った「食」の現実が書き記されています。

決して「グルメ本」の類ではなく、貧しい国に住む人たちの食生活が中止です。しかし、よくある「だから、もっと私たちは食べ物を大事にしましょう」というような意見が書いていないのがよかったです。──まぁ、この本を読んで、それで何も感じないような人間にはなりたくないな、と。

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舞城王太郎 『阿修羅ガール』 残酷な主人公の恋心

『阿修羅ガール』

ちくしょー、また騙された! 舞城王太郎め!(満面の笑みを浮かべながら)。という読後感でした。

減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。

返せ。

『阿修羅ガール』 p.9

──などという、主人公の可愛らしい(?)独白から始まるので、てっきり、女子高生のほのぼの学園生活物語が始まるのかと油断していたら──背後からいきなり刺された感じ。主人公の周りで、次々と(文字通り)奇想天外な事件が起こるのでした。「先の読めない展開」という使い古された言葉が似合う一作です。

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